豚たちは屠殺場への輸送中、過剰な詰め込み、熱ストレスに耐えなければなりません。
あるアメリカ合衆国の養豚専門家はこう述べています。
輸送中の死亡による損失はとても大きい。それは年に8百万ドルを超えるほどだ。しかしなぜ我々ができる限り多くの豚をトラックに詰め込もうとするかは想像するに難くない。その方が安上がりだからだ。これは倫理の問題である。毎年8万もの豚がそのせいで死に追いやられているというのに、一頭あたり25セントの輸送費を浮かせるためにトラックをぎゅうぎゅう詰めにするのは正しいことだろうか。
その先に待ち受けているのは大変な恐怖と苦痛と死です。
アメリカ合衆国の人道的な屠殺方法に関する法令によれば、食肉処理場で豚たちが脚から逆さに吊るされ出血多量の死を迎えさせられる前に、原則として彼らは電気ショックで意識不明にさせられます。
しかし、電気ショックで死ぬのではなく、失血死です。そして、気絶したのではなく、単に麻痺をして動けないだけの豚もいます。
アメリカでは、動物たちが意識のあるまま吊るされ、宙を蹴り抵抗しているところを解体処理担当者がナイフで首を一突きしようとする、というような光景がよく見られます。
日本の豚の屠殺も同様に、電気ショックを与えられ、動けなくなった後、胸のあたりの頚動脈を切り放血し、失血死させるという方法で行われています。
生きたまま失血させるのは、血液が固まってしまうと、血が肉に残ってしまうためです。
電気ショック後、豚たちは足をばたつかせることが多々あります。
「反射で動いているだけだ」、「苦しいかどうかはわからない」などという意見もありますが、後述するように電気ショックによる気絶はいつも成功するわけではありません。毎日大量の豚を殺し続ける中で、かつ、個体差が大きい中で、一律の作業で完璧に失神させることなどは、不可能なことなのです。
動物福祉が日本よりもはるかに進んでいる英国ではスタニングの失敗率は20%*6、ドイツでは12.5%*5であったといいます。ドイツ、オーストリア、スイス別の研究でも、12% (ペン式)、21% (トラップ式)、 31% (自動式) 、13% (CO2)であったことがわかっています*9。頭と心臓の2段階電気ショックを与える方法は事故率が少なかったという結果*10が得られていますが、電気ショックそのものに相当の痛みがあることを忘れてはなりません。
日本の畜産動物福祉はDレベル、ドイツBレベル、英国とオーストリアとスイスはAレベルと評価されています。日本より評価の高い国であってもこのような結果です。日本ではスタニングの成功率についての調査すら行われていない状況ですが、この結果から日本がどうなのかは推して知るべしです。
品川にある東京都中央卸売市場食肉市場は二酸化炭素で意識を失わせるガススタニングという方法をとっていますが、この方法は非人道的です。海外でも二酸化炭素にアルゴンや窒素を混ぜて行うガススタニングが行われていますが、その残酷さから廃止すべきとし、より安楽なガススタニングを研究中であるとしています。
二酸化炭素は、豚にとても強く嫌悪感をもたらします。二酸化炭素を吸入すると、粘液膜の刺激により急性呼吸困難が起こり*1 *2、呼吸困難は、過呼吸、息切れ、喘ぎ、窒息を引き起こします*3 *4 。
写真 L214
動物は人間の言葉で痛みを訴えることはできませんが、痛みが私達のものよりも小さいということはありません*8。日本には肉質に関するものはあれど、屠殺時の痛みを研究した論文はみかけません。しかし世界はそうではありません。少しでも痛みの少ない、失敗の少ない方法が何であるのか、失敗するのはなぜなのか、多くの研究が行われています。他者の痛みを測定することは簡単ではありません。
どの職業でも同じですが、改善し、進化し続けることでのみ、産業・企業は生き残ることができます。科学に基づいた議論を望みます。
写真 Animal Equality
*1 http://lwcc.instantbusiness.co.za/Portals/306/News/Articles/WELFARE%20IMPLICATIONS%20OF%20THE%20GAS%20STUNNING.pdf Raj ABM and Gregory NG. 1996. Welfare implications of the gas stunning of pigs 2. Stress of induction of anesthesia. Animal Welfare 5:71-78.
*2 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8120581 Peppel P and Anton F. 1993. Responses of rat medullary dorsal horn neurons following intranasal noxious chemical stimulation:effects of stimulus, intensity, duration, and interstimulus interval. Journal of neurophysiology 70
*3 https://www.efsa.europa.eu/en/efsajournal/pub/45 Opinion of the Scientific Panel on Animal Health and Welfare on a request from the Commission related to welfare aspects of the main systems of stunning and killing the main commercial species of animals. 2004. The EFSA Journal 45
*4 https://www.ingentaconnect.com/contentone/ufaw/aw/2008/00000017/00000004/art00002 Rodriquez P, Dalmau A, Ruiz-de-la-Torre JL, Manteca X, Jensen EW, Rodriguez B, Litvan H, and Velarde A. 2008. Assessment of unconsciousness during carbon dioxide stunning in pigs. Animal Welfare 17
*5 Spiegel Online (2012): Regierung rügt Tierquälerei in Schlachthöfen. Available at: http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/schlachthoefe-arbeiten-mit-hoher-fehlerquote-tiere-leiden-unnoetig-a-840156.html [03.03.2018]
*6 Anil, M.H. & McKinstry, J.L. (1993). Results of a survey of pig abattoirs in England & Wales. London: MAFF Meat Hygiene Division. Reciprocation
*7 world Animal Protection http://api.worldanimalprotection.org/?_ga=1.231983257.78416652.1454904382
*8 Gibson, 2009
*9 Identifying reasons for stun failures in slaughterhouses for cattle and pigs: a field study, von Wenzlawowicz, M; von Holleben, K; Eser, E
豚が可愛そう? ふーん、
俺は何とも思わないな。
仕方ないじゃんw
新鮮な美味しいお肉食べたいし、
安く食べたい。栄養満点だしw
うちの犬も豚肉大好きだしなw
動物愛護論て、なーんか胡散臭さと
偽善っぽさが感じられる。
じゃあお前の来世が家畜でも文句言うなよw
ああ、それな、犬が食われてお前可哀想とか悲しいとは思うかも知んないけれどさ豚も犬も結局おんなじ哺乳類だから。もうちょっと関心とか持てよ。
自分が豚だったら同じように殺されても仕方ないの?君を憎んだ人から殺されても仕方ない、でいいの?
太郎君の意見って小学生以下だね。もっとマシな意見考えてね。
ああ、それな、犬が食われてお前可哀想とか悲しいとは思うかも知んないけれどさ豚も犬も結局おんなじ哺乳類だから。もうちょっと関心とか持てよ。
じゃあ君の家の犬を殺してその肉を食っても構わないね?
「犬を殺したら可哀想」なんて言うのは君が嫌ってる偽善の動物愛護だからな。
来世が豚だったらとか、自分が豚だったらという現実にありえない仮定のもとで議論してもしかたがない。
豚を殺すのと、魚を捌くのは同じにしか思えないよね
胡散臭さと偽善。
痛みや怖さのわかる動物を、恐怖と痛みを与えて殺していく過程を知ったら、なるべく痛みを減らしてあげたい、怖さを減らしてあげたいと思いませんか?
中国や韓国では犬の肉を食べる文化があります。
どのように殺すかご存知ですか?生きたまま殴り殺したり、火で炙ったり、熱湯に入れて殺されます。
痛みや苦痛を伴うと、肉が緊張で硬くなり美味しくなるそうです。是非ネット検索してみてください。残酷すぎて見るに耐えないはずです。伝統的な殺し方だそうです。しかし、私から言わせてみると、家畜の屠殺方法や家畜への虐待に対して、家畜だからしょうがない、といってスルーしたり、偽善だなんだと言うのは、この犬肉の文化の様に、時代遅れだなぁと感じてしまいます。野蛮だなぁ。と。
根拠もないのに、なぜ偽善とか嘘っぽいとか言えるんですか?結局、ぽいことしか発言できないんですよね。彼らは、動物の悲しみを非常に深く感じている人たちです。とても心の美しい人たちです。豚に与える苦痛、犠牲を最低限にしましょうって話です。あなたの考え方はとても捻くれていて、歪んでいて偏見だらけです。私は、ベジタリアンではありません。だけど人間のために命を落とすまでは幸せな一生を全ての豚に生きてほしいと思います。
少し言いたいんですけど、豚は殺されくて殺されてるのではありませんが?
大事な命をもらって口にしているんですよ?
あなたが豚だったら殺されて苦痛で死んでいるんですよ?
どのくらい痛いか頭で考えたらどうです?
後、可愛そうじゃなくて可哀想ですよw
誤字ってますよ。
人も動物だから食用のために君が殺されても文句言うなよ
君にとって動物愛護法は胡散臭いんでしょ?めんどくさいんでしょ?考えなくていいって思っているんでしょ??????殺されても仕方ないっすね。太郎くん。
かっこいいと思ってるの?
そもそも動物は断じて食べ物ではない。動物は食べ物である、などと言う決まりも道理も根拠もない。人間が人間の利益のため人間の食の欲望を満たすため勝手に野生動物を家畜化し物として食糧等に利用して来た歴史がある。人間はあたりまえに人間と同じく尊い命ある動物を食べている。何故尊い命ある人間の肉は食べないのか。食べてもいい命食べてはいけない命があるのか。命に違いがあるのか。命を差別している。人間が動物を殺して食べる権利も道理も根拠もない。是非屠殺場を見学してください。豚と同じく豚が殺される同じ方法で鋭利な刃物で頸動脈を切り裂かれ生きたまま方血されている自分を想像してください。あるいは豚と同じく二酸化炭素で意識を失わされている自分を想像してください。豚が加えられる激しい苦痛と恐怖と絶望を少しは感じるかもしれない。少しは分かるかもしれない。
安全圏からぬくぬくとただ安く肉が食いたいから痛めつけていい、苦しんでいいと豪語するやつのほうがよっぽど信用できないし胡散臭い。自分の欲のためなら他の命をどこまでも値踏みするんじゃないかと怖くて預けたりできない。自分で屠殺して食えばいいんだよ。それでなおもイキがった台詞言えたら好きにすればいいよ。
あなたの意見がとてもしっくりきました。
この社会では自分で動物を殺さずとも肉が手に入ります。そのため命をいただくことの重さを考えることのできない人間があふれています。だから非人道的な殺し方でも問題にならないんでしょうね。
義務教育の間に食育の一環として屠殺場の見学なり家畜を飼うなりしたほうが良いと思います。
人間のエゴで苦しみを受ける為に産まれてくる。それも人工的に。このしっぺ返しはいつか自分達人間に帰って来るよ。それも近い未来に。気づいた人から変えて行こうよ。動物は食品じゃ無く、
友達だよ。
ありがとう。「人は家畜だ」と先進国の人々や大富豪がよく言っていました。ヴィーガンになって、そうだなと思いました。無知だった行動を直す時代に入ってきていると思います。動物を殺さなくても他にヘルシーな食べ物はたくさんあります。牛、象、チンパンジーなど、骨や筋肉が人よりしっかいりしているのは、草食だからです。肉食は血液をつまらせ、病気になり、医者と薬局が儲かるビジネスなだけ。それを学ばない人は早死にする。スタンフォード大学の心臓専門医師に言われました。「癌や、心臓病になりたくなければヴィーガンになりなさい。」そして、先進国の心臓関連の医師たちはヴィーガンが多いです。環境問題でも家畜産業が一番悪影響を与えています。肉を食べる食べないで騒いでいる場合ではありません。愛がある将来にするために、子供に幸せな場所を提供するために、自然、その他の動物を守るために、道徳的になるために、習慣を変えることが余儀なくされてきています。肉や乳製品をやめることは、簡単です。意思がつよくなればいいだけです。意思の強くなれない、雑食動物、動物を殺し、自然を破壊し、自分さえよければと思っている人間が一番、この世で低い生き物です。 人間が一番偉いと誤解しています。偉いのなら、どうして地球をも破壊するのでしょうか? 他の動物は自然共存しようとしているのに。カルマで人は苦しむ将来がきます。でも、情けないのはそれまでに、他の動物や自然を破壊しまくってからだということです。気づいた人から、愛を持って行動に変えていきましょうよ。本当に。動物は天使です。天使がいなくなったこの世は寂しいところです。気づいてください。
まぁ、雑食(ほぼ肉食)の人間にとっては、肉ってものは必要不可欠だけどね。屠殺方法は、考え直した方がいいかもね。あと、こういった動画が撮影されるのは、決まって先進諸国なんだよね。発展途上国では、こうした議論は起こらないわけだから。
南米のいわゆる途上国の出身ですが、こうした議論はテレビで日常的に報道されているぐらい、日本よりはずっと一般的なものだと感じています。
動物福祉に関する法律の面では日本と違って専用の機関が設けられたりして、定期的なチェックが行われています。
近隣国もそうだと思います。ヨーロッパ諸国に比べては少ないですが、肉を食べない人も、人口の9%だとされています。
先進国だからこそ、今後の日本に期待したいです。
日本て進んでる国だと感じていましたが、動物愛護に関しては後進的だそうです。発展途上の国の方が厳しかったりします。野蛮国日本。ダサいですよね。
多分、分からずやの頭の硬いじーじばっかりが政治家だからでは?もっと新しい自由な発想を持った人たちに国を変えてほしい
そうなるとやっぱり、若者とかが選挙行かないといけないですね。
人間も自然の一員なのだから、ライオンとか、他の肉食動物のように他の命をいただく必要はあると思います。
本当に無くすべきなのは、食品ロスなどの頂いた命を無駄にすること。
そして、商業としてどんどん家畜を際限なく屠殺するのでは無く、しっかりと行政が間に入って一年あたりの総屠殺数を決めるべきだと思います。
そうすれば、もっと良い環境を家畜たちに与えられるだろうし、食品ロスなどの命を無駄にすることも減ると思います。
動物は他の命を犠牲にして生きる、罪深い生き物なのです。
大切なのは命を無駄にしないことだと思います。
人間は人間と同じく尊い命ある動物を殺し食糧としなくても断じて生きていける。人間が人間中心主義に基づき人間の利益のため人間の欲望を満たすため金儲けのために人間の都合で動物を殺してきた歴史がある。人間が人間の都合で尊い命ある動物を殺して食べることを命をいただくとか、大切な命を殺して食べていることを命を無駄にしないとか、人間が犯している動物の命を奪う罪を正当化する人間中心主義こじつけ発言と言わざるを得ません。野生動物が他動物を食糧とする根拠と人間が尊い命ある動物の命を奪い食糧とする根拠は次元の全く異なることである、との認識が欠落している何ものでもないと言えます。
殺処分にしても、やりかたがある、と訴えられていらっしゃるのだと思うのですが、、
それをひどい方法だと人間も感じるというのは、動物にとっても人間にとっても有益ではないのでは・・・?
ちょっと話は極論かどうかかわりませんが、動物愛護法には家畜への配慮も入れていただければと思います。
私は少なくとも現実を知れて、自分を変える機会をいただけてこのような活動をしてくださってよかったと思っています。なにより、とりさんが幸せそうになっている姿には勇気をいただけました。
ありがとうございます。
動物はあなたのごはんじゃないってどゆこと?
今食卓に出されてるのは、人が食べるために飼育している動物だよね?基本的には。
ペットとごちゃまぜになってしまってるんじゃないの?
牛も豚も鳥も私たちの大切なご飯です。
感謝して食べることさえ忘れなければそれでいいんじゃないの?
Aさんが被保護者のBさんのことを「Bさんは自分がたべるためにご飯を食べさせている」と決めありがとうと感じてさえいれば、殺して食べても良いとするルールは、非倫理的です。
いや、駄目なんだよなそれが。牛とか豚とか鶏とかは人間の贅沢の為に命を犠牲にしてまで殺されてるんだもん、それはちょっと納得行かないと思うな。
いや、駄目なんだよなそれが。牛とか豚とか鶏とかは人間の贅沢の為に命を犠牲にしてまで殺されてるんだもん、それはちょっと納得行かないと思うな。きびなごさん、よく考えてみ、我々人間の贅沢の為に命を失ってまで食べられてんだよ。殺される時の痛みとかさそこをもうちょっと頭でよーく考えて見たら嬉しいな。
感謝さえして食べれば、豚や鳥、牛の動物がどんなに苦しい生涯をしようが構わない、と言う考えは、ものすごく身勝手。動物も叩かれれば痛くて逃げるし、苦しければ苦しく辛い鳴き声をあげます。
じゃあ自分が叩かれながらじりじりと手や足を切られたら、いっそひと思いに死にたい、痛みや苦しみ を感じたくない、とは思う想像は出来ないのですか?
出来る事なら動物達を食べたくない、でも、食べなきゃいけないなら、せめて、その動物達がなるべく快適に元気な生涯を送り、なるべく苦しまずひと思いに殺して食べる、という事を真剣に考えるべきです!
まったくその通りである。常により良い生き方、愛の循環を考えることをやめてはいけない。
それに、こんな残酷なやり方で頂く命はたぶんどこかで歪となる気がする。
医学的根拠がないのは医学が世界の神秘に到底追いついていないだけだと思う。
もっとハートで生きてもいいと思う。きっとみんなもっと幸せになれる気がするよ。
私自身は肉も食うし魚も食べるが、ベジタリアンやヴィーガンは嫌いではない。
人の本来の悪性になんとかNOを主張する生き方は尊敬に値する。
人間は所詮、自分がかしこいと思い込んでる醜悪な二足の動物にすぎない。
人は自分の欲や愉悦のためなら他者の苦痛なんてどうでもいいんですよ、残念ながら。
旨いから楽しいから、苦しめても殺してもいい、どうでもいい。騒ぐやつはウゼエ、キモイと叫び、殺す。
これを同種同士でも飽きることなく繰り返す、それが人間です。
フォアグラも子牛のフィレも、人間のような醜悪な生き物じゃなければとても思いつかないシロモノです。
でもそれでいいんですよ、所詮ヒトなんてこの程度の生き物なんですから。
人間の醜い本質を達観してらっしゃるような内容ですが、しかしそれでいいと認めてしまえば、それでは人間社会は保たれません。通常、人間社会は身勝手な人の部分を抑制し、共感能力を高めて人間社会を保っています。そしてより質の高い社会はより高い共感能力が求められ快適な社会となります。その共感性を食とされる動物にも発揮しましょうと言うのがこのサイトの趣旨ではないかと思います。”所詮ヒトなんてこの程度の生き物”かもしれませんが、高度な共感力を発揮し、時には小さな命も協力して救おうとするのも人でしょう。どちらを選ぶかは人しだい。そして質の高い快適な社会は、高度な共感能力が求められます。
必要ないでしょう、食べないほうが健康って流石にもう常識でしょ。
感謝しようがしまいが関係なしに食う!うんまい!
自分が豚だったらやだね!でも人間だから関係なしに食う!
そして食った方が健康!以上!
まるまるさん
本気で言ってますか?
必須脂肪酸不足のほうがよほど体がボロボロになりますよ。栄養学を専門にしていましたが、肉を全く食べないのは寿命を縮めることになりますので、お気をつけてください。
栄養学が古すぎる知識なのではないでしょうか。
リノール酸は必須脂肪酸の代表的なもので植物由来です。昔は積極的にとるべきと言われていましたが、米などの穀物からでも十分な量が摂れることがわかり、今は過剰摂取による問題のほうが言われています。また、ラード、バターなど動物性の油の大半は必須脂肪酸ではないです(昔からわかっていました)。ただ、今は動物性脂肪のコレステロールも見直されていて、摂取してもよろしいと言うことになっています(摂らなくても体内で合成できるから問題ない)。
テレビなどで全くこういう問題が議論されないなかで、みなさんが活発に意見を交わす事のできる、このような場所を提供してくださって素晴らしいと思います。
人は本来雑食だから肉を食べるものだという意見が散見されますがホモサピエンスの本来の食生活を再現するのならば(考古人類学といえども昔の話なので推定なのでしょうが)、住んでいる地域でかなりの違いがあった一方で、どの地域にも言えるのが大型の動物を殺して食べられたのはかなり稀で、常食していたのは昆虫くらい。また稀に大型肉食獣が食べ残した(新鮮だったり腐ったりした)肉にありつけたということです。アイヌの言葉でオオカミはたしか「獲物を分けてくれるもの」という意味だったと思います。こういう本来の人間の食生活を理想とするならば、肉食の量はかなり減ることになると思います。
加えて、高度に発達した文明の中での高い意識を持った食生活はどうするべきかという議論もあります。そのなかでも持続可能性と、倫理・規範に分かれると思います。この3つの切り口をはっきり意識して考えれば、考えが整理しやすいかなと思います。
私自身はラクト・ベジタリアンですが、厳格ではありません。ベジタリアンという概念がわからない人たちや地域に行ったときに歓迎してくれて出された肉料理は食べることがあります。
誰も肉を食べない 誰も実験に動物を使わない 誰も革・毛皮を使わない
人類が存続するならいつかはそういう世界になるだろうな。
闇が深すぎて一見到底たどり着けない気がするのに、
「まず自分が変わる」と行動することがヴィーガンという在り方なんだね。
主義主張もせず誰にも押し付けず、当たり前のことのようにヴィーガンを選択する人が一定数に達したらそこからは変化が早いだろうね。
色んなこと言うけど、今動物たちに命を繋いで貰ってる人間はその命に祈りを捧げ、感謝して食うことが何故できないのかね?感謝や祈りも出来ない頭弱い人間こそ屠畜されるべき。
卑屈な考えしかできない奴が多いのは平和ボケのバカなんだろうね。合掌
この記事を見てやはり屠畜というのは出来るだけ安楽死に近い形で屠畜して欲しいよね
特に自分は肥育牛を生産して愛情込めて育ててるけど記事で書いていた屠殺?という単語をつけないで欲しい殺すのではなく命をいただくために畜産動物がいるのだと思う。だから日本には食事の時には最初にいただきます最後にご馳走様でした。というのが屠畜されていった畜産動物の礼儀だと思う
肉を食べない私は上位の存在、みたいな態度が変わらない限りは永遠に解決しない
誰がそんな態度をとっているんですか?
こんなに酷い殺され方本当に悲しい。
私はヴィーガンにはなれないし、何も解決することもできない。
だけど命に感謝して毎日ご飯を食べれることを忘れないで生きたい。
豚のと殺の一連の流れを動画で見られるものを探してたけど、思ったのと違った
「サークルオブライフとして、人間がヒエラルキーの上にいるから命をいただくのは当然のこと」と仰ってる方々をよく見かけますが、人間のやってる事は機械的で心なく過剰な殺戮であって命をいただいてるなんて口が腐っても言えません。もし当然であるなら、動物たちを殺める事を業者に任せるのではなく自分でやってみたらどうでしょうか。
綺麗事言うなと仰る方々や、march for animalsに冷たい言葉を浴びせる方々の意見を聞かせていただきたいです。なんの感情もなく可愛い動物の命を奪うのはどうゆう気持ちなの?
「倫理」とは、人間社会の秩序や豊かさや幸福感に関わる理(ことわり)です。
豚の幸福を考えるのは倫理では無くて「豚理」ではないでしょうか。
牛や豚や鶏が可哀相だから肉を食べない。卵や牛乳を摂らない。
魚が可哀相だから食べない。
植物が可哀相だから食べない。
生物を殺して食べるのは忍びないから人間なんてこの世からいなくなれば良い。
となるのであれば、これは倫理には反します。
仮に…、ですが。
これが地球にとって正しいのであれば、倫理には反しますが、自然の摂理には反しないのでしょう。
魚、動物を殺したもの、殺されたものを食べている。
その自覚をもつのと同時にその糧で今日1日を生き延びる事ができた感謝を忘れないようにしないといけない。日本の頂きます!合掌の意味を今一度考えなければね!
「可哀想だから食べない」という考え方はしっくりこないですね。
人間は昆虫も哺乳類も爬虫類も植物食べてきました。
今更何を言っているのでしょうか。
ただし、飼育環境であったり屠殺方法の議論はされるべきだとおもいます。(環境負荷問題も然りです)
飼育環境酷いから、屠殺方法が酷いから、食べないのではなく、飼育環境を良くして苦しみを与えないように最後を迎えられるようにするのが議論するべき方向だと思います。
人間を含めすべての動物が食べたいものを食べている中で、何故一部の人間は可哀想だから食べないという選択を他人に強制しようとするのでしょうか。地球人口と必要カロリーなどを考えても現実的ではありません。
人類がお肉を食べなくなったとして、必要な穀物量、野菜の量、土地の問題、子供が十分にスポーツが出来る程の十分な栄養を各家庭で補おうとしたときにどれだけのお金がかかるのか数字で知りたいものです。
肉食を拒む方々は感情的になり過ぎて具体的な策を話しているのを聞いたことがありません。「叫ぶのは自由だ」「批判することは大事だ」という言い訳を良く聞きます。
勉強をして下さい。お願いします。
肉食は必要で、議論されるべきことは飼育環境・地球環境負荷の改善と屠殺方法の継続的な議論です。
肉食を辞めるというのは非現実的で愚かな考えです。
地球人口と必要カロリーのことを言うならば、肉生産に必要な穀物量がはるかに無駄。
勉強をして下さい。お願いします。
動物も痛みを感じるということが問題ならば痛覚を司る神経を持たない動物を作れば解決では?
自分は、鶏肉屋です。親が祖父母が鶏を屠殺して育ててくれました。感謝しかありません。自分も鶏で生計を立てています。そこで思うのですが、一度屠殺してみてはどうですか?
生きる為に、食べるという事がよくわかります。
自分は、品種改良したサツマイモと豚の違いがわかりません。種のないブドウはよくて、成長の早い鶏は駄目なのですか?種のないブドウの方が酷いとおもいませんか?
子供の頃、屠殺の現実を知ってショックを受けました。でも、肉食獣のドキュメンタリーを見て、生きるために食べる事は悪ではないとも思いました。
毛皮やバッグ、三味線(猫皮)などは必要のない殺生だと思います。
狩りをしなくなった代わりに、専業で管理する仕事が畜産業だと思います。
私は、作物を育てる事も、家畜を殺す事も出来ません。自分の手を汚さずに食べている分際で、文句を言う権利もないと思ってます。
本当にヴィーガンのライフスタイルが人間に合っていれば、今無理に声を荒げなくても時代は移り変わるのだと思います。それは子の世代か孫の世代か、分かりませんが。
残酷な言い方になるが、愛情を受けて育った肉は美味しいので、価値が高まる。つまり衛生的な環境の整ったところで安らかに最後を迎えれば、肉としての価値もあがるのではないか。そして美味しく頂けるのではないか。
また衛生的に処理される事で疫病対策にもなるだろうし、環境が改善されれば、そこで働く方の負担も減るはずだ。
また、そもそも現代日本では、命を頂くことの感謝の気持ちが薄れてしまっている。
そのような観点でも屠殺の方法は、もう少し見える化(実際に見せる必要は無くても、知識として知っておくだけでも)した方が良い、社会から存在を消し過ぎているのではないか。
サバンナやアフリカの自然の中で、草食動物が肉食動物に狩られ食べられる。これは自然の中での食物連鎖。肉を食べることが悪なのではなく、その過程が残酷なんだと思う。狩られるまで、大草原の自然に生きる動物は、何の囲いも不自由もなく歩ける。一方で人間の屠殺は、管理して囲い自由を奪い、屠殺。この過程を動物の屠殺される側から見れば、生きている間中苦しみ抜いて死ぬ。この屠殺と飼育の部分をより環境を考え清潔にして、自由な飼育環境に変えていく必要がある。私は、ほぼveganで肉は食べないが、いつの日か自然に肉食の人類が少数派になった時、初めて地球の生命体が尊重される時代が来る。
どの生物だって命を摂取しないと生きていけない。
人間だけ肉食止めろというのは極めて不公平だと思う。人間は雑食動物だし。
例えばチーターだってガゼルとかの野性動物を食らって生きている。
肉食を止めろではなく肉などの食品廃棄を少なくしようなら賛同するひとも増えるんでは?
日本なんて世界中の中でも食品廃棄率高いし。
動物が惨たらしく屠られることに胸が痛まないのかと聞かれたら、かわいそうだなーとは思う。
ただその度合いが活動に熱心な方とはまるで違うので、非人道的でも安いお肉の方が嬉しいし、これからもお肉食べます。
また、動物が苦しい思いをしている問題よりも、貧困に苦しむ人間への支援のほうに関心があるので、今後も世界中の人類が等しく救済されるまでは動物の命は二の次だと思ってしまいます。
今後ともわたしのごはんである動物たちには感謝します。
わたしはお肉も卵もいただいていました。でもこちらに書かれていることで現実を知り、とても人は「感謝していただいている」と言えないのだということがわかりました。食べないことが良い行い、食べる人が悪い人という議論ではありません。”これからも感謝しながらお肉をいただきたい、それにはこの問題をどのように変えてゆくべきなのだろう?”と思った時、今自分にできることは小さなことだけど、今よりずっとお肉を食べることを控えてゆこう。これから世界がプラントベース中心に変わってゆくだろうし(先日、培養肉の記事を読みました)自分を変えたいなと思いました。ヴィーガン 、ベジタリアン、肉食だから…など自分から型に納めることよりも、本質の問題を理解し”動物のため”だけでなく、地球のため、未来(子どもたち)のためにどう変えてゆくべきかをみんなが学ぶべきです。
ここに書いてあるコメントを読みましたが素晴らしいご意見で勉強になった方もいました。が、なんでしょうか?個人の主義を否定したいような意見の吐口のようになっていますね。食べない選択肢を他人に強制するなと書かれていたり。何か劣等感をご自身で抱えていらっしゃるのか?上位がどうだの…とか。。
少なくともわたしはこれを読んで、人に肉を食べるなということを強制しているようには全く感じられませんでした。むしろ考えてゆかねばならない課題をこうして知ることができたことに感謝します。
お肉大好き!とかいっている方々へ
肉食は倫理的な問題のみであると思っていませんか?人は、十人十色。倫理の問題になれば、肉食主義・菜食主義 いろいろな考え方があって普通だと思います。しかし、肉食は、倫理的な問題のみにとどまるものではありません。
牛肉1kgを得るために必要な穀物は13kg、豚肉1kgで7kgの穀物が必要になります。世界の穀物の約40%は家畜の飼料となっているんです。つまり、アメリカの家畜だけが消費する穀物類と大豆だけで、13億人が食べるだけの量のものが実際はまかなえるんです。つまり、肉食をやめるか、食べる量を減らすとかすれば、あなたは自然と貧困で飢餓に苦しむ人たちの支援をすることになるのです。
また、アマゾンの伐採された森林の70%が家畜の放牧地と変わっています。アマゾンの熱帯雨林は地球上の生物種の10%以上が生息し、地球上の20%の酸素を生み出します。面積な巨大なアマゾンでは、植生が蒸散作用を通じて、水分を放出していますており、植生の一部が破壊されれば、地球の気候を調節する力が弱まるので、気候変動はますます進むでしょう。また、家畜を育てることで出る、メタンガスは全体の約3割を占めているのも事実です。
日本は少子化が問題になっていますが、これから確実に世界の人口は増えていきます。家畜も今以上に増えるでしょう。海の魚もこのままでいけば、乱獲が原因で、いなくなります。生物多様性は人間によって壊されています。
完全にやめろなんていいません。持続可能な社会のためにも、肉とか魚を食べる量を週1に減らすとか、家ではプラントベースの食事に切り替えるとか、何らかのアクションをやっていくべきではないのでしょうか。
皆事実を知らないだけで、知れば変わると思います。。
目の前に生きている豚や牛を見て、ただおいしいから、という理由で食べることを選択する人ってどのくらいいるんでしょうか。
と殺の現実をもっと多くの人に知ってほしいし、と殺に加担しない手段(ベジタリアンやヴィーガン)があることをもっと知ってほしいです。
彼らが犬と猫となにも変わらない事に早く気づいてほしいです。
なぜ食肉処理業者の中には、非人道的な屠殺をしているところがあるのか。「どうせ死ぬんだから、都合良く扱って何か悪い?人道的とかやっている時間もお金もないのが現実だ」とか思っている類の人もいるのでしょう。
でも家畜と呼ばれる動物たちは死ぬまでちゃんと生き物として取り扱われ、生きていいはずです。たとえ食用として 屠される運命だとしても、むしろそれが本来あるべき姿です。
家畜という言葉は人間が作り出した都合のいい言葉じゃないですか。なぜペットと呼ばれる動物は人の愛情をたくさん受け、家畜と呼ばれた動物は生まれた瞬間から非人道的に扱われ、虐待を受け、死ぬ時も、痛みを考慮されないむごい殺され方までされないといけないのでしょう?人間が動物を自分たちの都合のいいように分類をしてるだけじゃないですか。
どうせ殺されるんだから、都合よく扱って何が悪い。時間やお金(設備)に手間暇かけてる余裕がないとでも言い訳があるのでしょう。モラルも倫理観も愛もないですね。。
動物の取り扱いの改善には時間やお金(設備)や労力がかかるだろうし、生産性も下がるかもしれない。それで市場にでる食肉量が減るかもしれない。でもそれでいいと思います。
代わりに植物肉量が市場に増えだすかもしれないし、畜産業者さんが植物由来肉の生産工場へ移行してするところがでてきて、今よりも効率的に利益を上げることができるかもしれない。もし国が動けば、助成金が下りるかもしれない。
50年とか100年という長期的な視点で見れば、成人病や癌発生率が減少し、日本の医療費の削減にもつながるかもしれない。100年前には皆無だった癌が、今では今2人に1人がかかって、5人に1人が癌で死ぬ時代です。CO2も大幅に削減できて、人間の健康も改善されるかもしれない。
早く時代が変わってほしいと思います。
そのとおり!
同意します。
賛同します。
あなたの考えに賛成します。事実を知ってからというもの、豚カツ食べながら「動物大好き!」とか言っている人の神経がよく分からなくなりました。
ふぇ?食べて「美味しい」と言ってあげたら殺されてきた動物たちの供養だと思うよ 今夜は焼肉!
弱肉強食で生きるために肉を食べることが当たり前と感じていました。しかし豚や牛も、わたし達が家族として可愛がる犬や猫の様に、懐いたり、喜んだり、子供を可愛がったり、怖がったり、痛みを感じたり、同じ感情があります。自分自身これから先、食肉をゼロにすることは難しいと感じます。ですが今まで当たり前だと思っていた、暴力的な屠殺方法、動物愛護について後進的なところを変えていきたいと思った人は発信していけばいいと思います。SNSが主流となり、様々な情報を取得できるからこそ、当たり前だったことが古かったり、野蛮だったりすると思います。
昔から動物を見たり、触れ合ったりするのが好きで、それは今も変わりません。
ベジタリアンでもヴィーガンでもありませんが、数年前から動物や乳製品を頂くこと、革や毛皮製品を使用することをなるべく少なくする様にしてきました。
それは動物が好きなのに、動物を食べること、身につけることに違和感を感じてきたからです。
また、現状の畜産などのあり方をネットなどを通じて知ったからです。
動物園の動物達を見ることは好きですが、それと同時に、檻に閉じ込められ、ストレスを感じているような動物達を見ると心が痛みます。
しかしながら、動物を食べること、動物園を非難するつもりはありません。
理由は色々ですが、ベジタリアンやヴィーガンの方々の考え方や思想も素晴らしいと思います。
今回、こちらのサイト、皆様の意見を拝見し、様々な想いを知り、考えさせられました。
今、そして未来が、少しでも”動物にも優しい”世の中でありますように。
そう願わずにはいられません。
そうして、私もそうであるよう、知ること、行動することを肝に銘じます。
肉を食べるなとは自分は思いません。自分も肉野菜魚とかバランスよく食べます。
人間は常に肉と切っても切れない関係です。歴史をみれば一目瞭然です。
廃棄とかになるように、生産するとき無駄に屠殺するのは命の冒涜だと思う。
その点自然はよく出来ています。
サバンナとかで例えるなら、嫌われもののハイエナですが、サバンナの掃除人と言われてる位必要な動物です。
ライオンとかの食べ残した獲物をハイエナ達が食べる、実に無駄がないと思う。
肉食をやめるというのが議論ではない。
可動域が設けられず糞尿に塗れ化膿した足裏から菌が入ることを見越して過剰な抗生剤を使う。或いは後ろに動けば糞尿に触れるため動けないよう電流が流されていて痒いところを何かに少し擦ることすら出来ない牛舎も有ります。ブロイラーは成長を異常に早められ骨格形成が追いつかず人間で言うリウマチのような苦痛を永遠と感じなが見るところもなく耐える個体もたくさん混じっている。泥や砂でカラダを擦る気持ちよさも楽しみも知らないまま恐怖と痛みの待つと殺場へ運ばれる。これが私達が買う鶏豚牛の殆どだという現実が少しでも多く再認識されたらと思います。世界が日本に言うのはあくまでも
“動けないゲージの廃止、或いは圧死する程の平場飼いには“とまり木と藁や砂を。”
これに反対してまでコスト減生産性を優先し続けておいて米で言う減反政策まで命に当てはめて施行されそれに対し補助金が出るとは。
人間でも貧困や虐待、世界にはまだ戦争紛争、飢えや病気、、解決しないことがあるのに動物は二の次だと思う人の考えも解りますが
計り知れない苦痛を与えない、軽減することを目標にすることを議論してほしい。
ぜひ頑張って下さい
・肉を食べなくなることでの、健康への漠然とした懸念(タンパク質の不足、弱々しい体にならないかの不安 肉の主食感)
・肉の代わりになるものの存在が何なのか(豆類で大丈夫かどうか)
・カップラーメン等のレトルト品に含まれるちょっとした肉の存在(それらも食べないようになる 肉無しで販売してくれたら良いのだが)
・ハンバーグやコロッケ、焼き肉などを食べなくても平気になるには。(豆腐ハンバーグとか?)
このあたりにはっきりとした答えが用意されれば、事は大きく進展する気がします
いいね!豆腐ハンバーグだったら本物の肉を使わなくて済むしエコで地球環境にも優しいそして本物の肉に近づける事も出来るからもう一石三鳥、いや四鳥ですね!😀
いただきますとか感謝すればいいとおもっているやつってなんの宗教なん?ww
それこそ胡散臭さと偽善の塊 虫唾が走る
はやめに逝ってほしいな!
食べるしかないのだから感謝するのは当然で、宗教とか関係なく人間だから出来ること。動物への苦しみの伴う屠殺について考えるのと同じです。
思考停止してはわからないでしょうけどね。
でも?そういう人たちでも逝ってほしいとは思いません。人間ですから。
実際に豚を毎日見てるけど彼らは共喰いは当たり前、人でもなんでも喰おうとし続ける…可哀想と思うことは豚に喰われても良いって思うことと変わらない
何が偽善だ! 豚の苦痛を考えろ
じゃあお前をこの豚のようにkoroされても文句ないんだな?
金や、食料として見るか
命として見るか
そのウエイトの差だと思う
どちらも重要だし、欠かせない
どちらの意見も間違ってない
個人的には、今何不自由なく食べる事
その裏で繁殖されて奪われる命にもっと感謝しなきゃな
と思った
ガス屠畜は駄目ですね。
内臓が無駄になります。
苦しまない屠畜方法では無く、可食部位の歩留りを優先した屠畜が必要です。
歩留り向上により結果的に屠畜数も減るのでWinWinになるでしょう。
綺麗事を言ってもなくなる産業ではありません。
知識と経験が増えるほど悩みも多くなります。屠殺に限らず、虐待の問題は、動物対象のものだけでなく、人のDVやパワハラを含めて、すぐ無くすことは無理でも減らす努力はみんなで力を合わせて進めていきたいですね。
わたしは雑食性で先祖から引き継いだ食生活を続けています。食べものの中では野菜が最も好きで、動物質の中では魚が好きですが肉も食べます。ビーガンの知人も多数居ますがわたしは違います。素晴らしいポリシーのビーガンの方も居ますが、そうではない方も居ます。
自然環境に対して罪を犯したくないと都会を捨てて田舎に住む方々と、自分だけ問題から逃げても社会は変わらないのだから都会に住んで人と自然環境との結びつきを気づく食育教育活動に一生を捧げるという人と、どちらが優れているということはありません。それと同じで、ビーガンこそ唯一理想の生き方だとは思いません。牛や豚を1kg育てるのに野菜重量を換算すると十数倍。それは正しいのですが、やさしくビーガン生活に慣れるために製造される大豆人工肉の精製コストは安くありません。そこで石油エネルギーもたくさん使われます。畑の大豆がそのまま肉食感に変わるわけではありません。がんリスクが劇的に下がるデータがあるかも知れませんが、トカラ列島や沖縄諸島に次々に出現する100歳を超える元気なお年寄りは、豚肉をたくさん食べて健康でおられます。
宗教自体もそうなのですが、どうしても人は、「自分が至った結論こそ正しい」と思いがちです。人の悪いクセです。多様性を認める素養がない人たちこそが戦争を始めるのであって、そこでの無差別な殺し合いは批判されますが、日本も、もし今戦前と同じような限られた情報や経済や政治状況に置かれ追い込まれたら、人の心がまた「1億層玉砕」と叫ぶようになるかも知れません。私たちは戦争に巻き込まれ突入し迎合していった祖父母と同じ遺伝子を受け継いでいます。ブータンとかコスタリカは別として、世界の国々の大半は、内乱や戦争を何度も起こした国です。状況が変われば殺し合いも辞さないのが人心の特徴です。
世界でもっとも血液がサラサラな民族はエスキモーですが、彼らの主食はアザラシです。アザラシが魚食であるためにオメガ3脂肪酸が高く、幼少期に鼻血を出したりしたお子さんが、たまたま血小板の少ない特徴があると、そのまま出血多量でお亡くなりになるケースがあるほど、エスキモーの方々の血液はサラサラです。このことは二つのことを示しています。ビーガンの方々が主張なさるほど、血液や内臓生理は「動物質であること自体が悪」ではないということ。もうひとつは、血液サラサラで悪い動物性脂質さえなければ健康で長生きするか、といえば、そうでもない、ということです。
歴史からみると、地域によって、ホモ・サピエンスは植物食に近かったり、魚食だったり、動物もかなり食べた地域もあった、ということです。また現代人の胃腸や内臓の仕組み、退化した盲腸などから考えると、我々の祖先は、植物専食性ではなかったことは明らかです。現代人類が生まれるよりももっと前、ネアンデルタール人以前に、ホモ属に認められている9種の中には、植物の根だけを食べた地方種族も居たようですが、ホモ・サピエンス(=ネアンデルタール人以降のわたしたち)は、いくつかの宗教の方々が人類を神聖視なさるのには反して、雑食性の歴史を歩み、摂取比率は様々ながら、肉も食べてきました。さらに言うと、現生人類には様々な血が入り交じっており、全世界の人類には例外なく、0.4~1.7%はネアンデルタール人から直接引き継いだ遺伝子を保有しています。真のユダヤ人学説とか、様々な「血統」の話がありますが、残念ながら人類はみな兄弟のようです。その兄弟たちの、食べものや思想や生き方の「多様性」を、まず認めたいと思います。否定ではなくて認め合って、共通のところで助け合って協力していくことが大事だと思います。
海外各国で大きな市民の力になっているNGOは、テーマに賛同できれば、どのような年齢、人種、思想、心情、民族、職業であっても会員になることができます。タカ派と呼ばれるネイチャーコンサーバンシーも、ハト派と呼ばれるWWFも、みな数百万人の会員を擁する巨大団体になって、「命を大事にしよう」という方向の法律や条約がつくられる時に、政治家が気にせざるを得ない大きな団体になっています。
日本は、「同じ考えの人が集まる」村社会のようなクセが強くて、多様性を認めるゆるやかな連帯がどうも苦手なようです。ビーガンの方々、動物も積極的に食べる方々、あらゆる人が、今起こっている「屠殺」という問題について、Dランクの日本を、もう少しよくしようよ、ということについては、喧嘩しないで、力や声を合わせていくことができないと、日本民族がオトナになれないように感じています。
上記の環境団体を例に取ると、日本野鳥の会とか自然保護協会とか、実働1~3万人の団体が巨大団体と言われますが、参加者数はアメリカ合衆国での上記の各団体の会員の100分の1以下です。
私も広域NGOの会員活動をしたり、地域でNPOを立ち上げて運営したり複数関わって矢面にも立ってきましたが、日本って、進んでいるようで民族意識の面では、まだまだ難しい国なんだなあと、何度も壁にぶち当たりながら過ごしています。問題を解決しようとするとき、解決や改善の道筋を個々の英智を結集して組み上げるようにつとめ、個々の思想をなじる喧嘩は、やめませんか?
(でもやはり自分の考えに一致する人とだけ生きていきたい、という日本民族的な「村社会思想」のほうを、これからも選びますか?)
動物が大好き過ぎて肉が食べれなくなりました。もの心ついた時には肉を食べていた。そういう習慣である環境に生まれてしまい、どうしようもできない。
普通に肉を食べるし、個人的にはヴィーガンの考えは、食い物を選べる恵まれた環境ありきの尖った意見だな~とは思う。
同様に、家畜なんだから苦痛も仕方無いし可哀想とは思わないって言うのもまた、自身の手を汚す必要の無い立場からの尖った意見だなと思う。
なんと言うかバランスだよね。個人的には命を頂いて生きる上で最低限の感謝の心は忘れずにいたいし、屠殺時の苦痛を減らせるなら減らせた方が良い。
どんな肉食わずに人間50年で死んだ方がよっぽどいいわ
お肉美味しい!!確かに屠殺の方法は考えものだけど、じゃあ苦痛なくどう上手く食肉加工するべき?ストレスにならない輸送の仕方は?可哀想可哀想言ってるけどあんたらそれできるの?現場の人間でもない外部の私らがヤイヤイいうべきじゃないと思う。
それに何千何万年と人間は肉を食べて生きて来たんだから今更肉食うなは無理があるでしょ。それなら、食品ロスをなくすと食べきれる分だけ屠殺する(無駄に屠殺しない)とかみたいにいただいた命を無駄しない方向性に持って行った方がいいんじゃないかな。
お肉を全く食べないようにしよう、ではないと思います。少しでも動物のことを思いやっている業者を選ぼう、ということかと。
生き物を食べている時点で、「買う」という選択をしている時点で私達も当事者です、ある意味現場の人間です。
可哀想だのなんだの言って、結局こんな屠殺法の後押しをしているのは私達消費者。大衆となった私達のニーズに合わせて、より安価なものへと市場は動いてるんです。逆に言えば、多数の力で流れを変えることもできる。私達にだって変える事ができる。
それを行動する前から否定するのは浅はかではないですか?無駄に殺さない、殺したら食べきる。その一点はあなたの意見に賛同です。
なにはともあれ自分が口にするものくらい、胸張って「私は選んで食べている。消費者として、人として正しい。」っていえるもの選択しましょうよ。
殺すってことは苦痛ですよ。
どんな殺し方しても殺される側は苦痛です。
ともかく、食に感謝です。
でもなあ、やっぱ「絶対にお肉食うなっ!!」って言われてもやっぱ人間の生活や食料には野菜や魚だけでなく肉も必要。お肉はお肉ならではの栄養素も詰まっているからこれから肉を食べる時は動物が殺される動物達の事をもっとよく考えて感謝して食べます。