私が2022年に働いた酪農場では牛のことを番号で呼んでいました。
この農場で働き始めてしばらくして、首に14と書かれた番号札をぶら下げている牛が酷く跛行(足を引きずっていること)をしていることに気が付きました。その牛は右後ろ足を治療されてテーピングが巻かれていました。治療したのにこんなに跛行していて大丈夫だろうかと私は14番が気になりました。
酪農場では毎日、朝と夕に搾乳を行います。搾乳の時間になると作業者は牛を牛舎から搾乳室へ追い立てます。牛舎にあるのは牛床(牛のベッド)と通路です。牛たちは普段牛床で休んでおり、搾乳の時間になると牛床から下ろされて通路をとおって搾乳室へ移動させられます。
牛床は通路より一段高くなっています。そのため足を痛めている14番は牛床からなかなか降りることができませんでした。牛床からは後ろ向きに降りるのですが、14番は両方の後ろ足を何度も踏みかえ、牛床から片足を下ろそうとしては引っ込め下ろそうとしては引っ込めと繰り返していました。どちらの後ろ足を先に牛床から下ろそうかと迷い、まず治療した右後ろ足を恐る恐る下ろし、次に左後ろ足を下ろしました。一つ一つの動作に時間がかかりました。乳牛は600-700キロもの体重があります。痛めた足に大きな自重をかけるため動くのが怖いのだということが伝わってきました。
跛行が重度になると牛は痩せ、猫背になるのが特徴です。
14番も体が痩せ、歩く姿は猫背で湾曲していました。テーピングをまいた右後ろ足をよろつかせながら数歩歩いては止まり、数歩歩いては止まりと、搾乳室への通路を進んでいきました。
跛行の酷い牛は他の牛たちとは分けて別の囲いで飼育して、ポータブル(持ち運びできる)の搾乳器を持ってきて乳を搾ってあげることも、やろうと思えば可能です。そうすれば跛行牛は無理して歩かされる必要がありません。しかしこの農場ではそれをしていませんでした。手間がかかるからです。この農場だけではありません。跛行牛の別飼い・別搾りするような手間をかけている農場は少ないと思います。
搾乳室はパラレルパーラーと言って、牛の誘導路に対して個別のストールが直角に設置されています。ですので牛は個別のストールに入るために曲がる必要があります。足を痛めた牛はこの曲がるというのも簡単ではありません。
14番は曲がり角で立ち止まり、「大丈夫だろうか」と確かめるように頭を何度か曲がる先に振りました。そしてその場で糞を漏らしました。14番が曲がることができずその場でためらっていると、社長が「おら!」と大声を上げながら近づいてきて、14番の後ろ足を竹で叩くこともありました。
竹は搾乳室に数本用意されており、牛を叩くのによく使われていました。
搾乳する時は、牛の後ろ足の間から搾乳器を入れて牛の乳頭に設置するのですが、跛行してX脚になった14番は後ろ足の間から搾乳器を入れることが難しく、痛めた足を無理やり広げさせて搾乳器を突っ込まなければなりませんでした。足を広げろと14番の後ろ足を何度も叩く従業員もいました。
搾乳中の時間も14番にとって苦痛でした。搾乳は普通、牛のオキシトシンが分泌されている5分以内に終わらせなければなりません。長く乳を搾りすぎると牛の負担になります。でも14番は16-17分も乳を搾られました。右後ろの乳房の乳の出が悪いということもありましたが、この農場では最後の一滴まで搾るという方針だったので搾乳時間は一層長くなったのです。このようなやり方は「過搾乳」と言われ本来やってはならないのですが、最後の一滴まで搾るというやり方をしている農場は少なくありません。
14番はこの長い搾乳の間、いつも後ろ足を踏みかえる動作を繰り返し、おしっこを漏らしました。排糞排尿は牛が緊張している証拠です。
過搾乳が不快で搾乳機を蹴り落す牛もいます。でも足を痛めた14番はそんなこともできず、ただじっと足を踏みかえながらおしっこを漏らして耐えるだけでした。
14時半ごろから16時ごろまでの間は、搾乳牛に餌を食べさせるためにスタンチョン(牛の首を挟んで動けないようにする設備)に拘束します。
14番はスタンチョンに拘束されている間、餌を口にくわえて背後に放り投げるという行動を毎日繰り返していました。私ははじめのころ、これは好きな餌を選んでいるだろうかと思いました。でもあまりに頻繁にこの行動を繰り返すし、餌を選んでいるようでもありません。
家に帰ってインターネットでこの行動が何を意味するのかと調べてみると「ストレスの表れ」とする記事を見つけました。
記事には「日々の農場において水槽の水をまき散らす牛、エサを放り投げる牛等々、このように変わった行動をしている牛を見たことがあると思います。」とあり、この原因を「元来持つ行動様式が発現しにくい施設の中での長期飼育による葛藤や欲求不満が持続した時に現れる」として、背中に餌がのった牛の写真が掲載されていました。
14番の背中には、この写真とまったく同じように、いつも餌が乗っていました。
スタンチョンに拘束されている間、14番が餌を食べている姿はほとんどみられませんでした。その代わりに20-30秒に一回のペースで餌放り投げを繰り返しました。この行動は14番が屠殺のために出荷される時まで続きました。
14番は2013年3月にこの農場で産まれています。
産まれてすぐに母牛から引き離され、狭い個別の檻の中で一頭だけで二か月ほどをすごし、その後他の乳牛たちと一緒の囲いに移動させられました。そして産まれて1年半ほどで人工授精され、あとは出産→搾乳→人工授精を6回繰り返してきました。産まれてからの9年と6か月を、狭い牛舎の中だけで過ごしています。牛舎の中には小さい牛床と通路しかありません。この農場は完全な舎飼いで運動場もありません。歩くことができるのはコンクリートの通路だけで、14番は土の上も草の上も歩いたことがありません。
牛を屋内で飼うと精神的な健康が損なわれるといわれています。牛には自分の舌で地面に生えている草をからめとって食べたいという欲求があります。運動をしたいという欲求もあります。放牧地では、牛は 1 日 3.2 ~ 6.4kmも移動します。でも14番はそれらの欲求がかなえられたことはありません。
出産の時は、隠れ場もなく誰からも丸見えの場所での出産を強いられ、産んだ子牛とはすぐに引き離されます。子牛を舐めたり自分の乳を子に吸われたりなどの母子行動も奪われていました。
14番のこのような一生を考えると餌の放り投げも当然かもしれないと思いました。
しばらくして、私は社長から14番と3番を「潰す」と聞きました。潰すというのは生産性がなくなったので殺すと言う意味です。「もう6産している」「乳が出ていればいいが出なくなっているし(生乳中の)体細胞が増えてしまう」と言っていました。
3番と言う番号札をかけられた牛もまたひどい跛行で、14番と同じように蹄の治療を受け、右後ろ足にテーピングを巻いていました。牛床から降りるのも搾乳室へ移動するのも恐る恐るとしか歩けませんでした。
14番とは産まれた日も近く、3月産まれの14番よりも1カ月ほど早い2月に産まれ、14番と同じように、産まれてからずっとこの農場で過ごしている牛です。
一か月違いで産まれた14番と3番は一緒にいる姿を見かけることが多く、隣りや向かい合った牛床にいたり、搾乳室の個別ストールでも隣同士に入ったりする姿がよく見られました。3番が14番を舌で舐めていることもありました。この二頭はお互い親しみを持っているように見えました。
14番の跛行はひどくなっていきました。一歩ごとに、テーピングをまいた右後ろ足を震わせながら持ち上げてまた震わせながらおろして、という状態で、歩幅は狭くなり、歩きながら糞を漏らしました。
治療で巻かれた右後ろ足のテーピングが、糞でドロドロになったころ、削蹄・治療のために農場に削蹄師らがやってきました。
前回の治療から14番の状態は良くなるどころか悪化しています。私は今日、14番の糞尿にまみれたテーピングを外して状態を確認し、何らかの処置がされるのだろうと思っていました。しかし14番はこの日の削蹄・治療のリストから外されていました。
どういうことかと社長に確認すると「14番はもう淘汰するから」と言われました。
3番も同じでした。処分する牛にもうお金はかけられないということです。二頭とも糞で汚なくなったテーピングを巻きつけたまま、放っておかれました。
日がたつにつれ、14番がベッドに横たわっている姿を見ることが減っていきました。かわりにいつも牛床に立っているようになりました。
跛行する牛にとっては、起立も横臥も大きな負担となります。牛はいったん横臥すると3-4時間おきには寝返りをしなければなりません。体重が重いので寝返りをしなければ循環機能に悪影響が出るからです。その寝返りも人間のように寝たままゴロンというわけにはいきません。いったん起立して、再び違う向きに横臥するという方法になります。
足を痛めた牛にとってこれらの動きは大きな負担になります。そのため跛行牛は一日中立っていることが増え、次第に食欲もなくなり痩せていきます。
私の仕事は、朝の5時に出社して朝の搾乳作業が終わって8時半ごろいったん家に帰り、14時ごろまた出勤して夕方の搾乳が終わった18時半ごろ帰宅するというというものです。
朝5時に出勤すると他の牛たちが横たわって休んでいる中、14番は牛床に立ったまだということがよくありました。朝の搾乳が終わって8時半ごろに家に帰る時、牛床に立ったままだった14番が、14時に再び出勤してみるとまだ牛床に立ったままということもよくありました。牛床で立ったまま時々痛めた右後ろ足を恐る恐る動かしているのを見ると、横臥したくても痛くてできないのだということが伝わってきました。
夕方18時半ごろ帰る時に牛床に立ったままだった14番が、翌朝5時に来ると再び牛床に立ったままなのを見ると、一晩中まんじりともせずに立ち続けている姿を想像しました。
横になって休んでほしいと思いましたが、どうすることもできませんでした。
14番はどんどん痩せていきました。
3番も跛行が次第に悪化していきました。はじめ右後ろ足だけ引きずっていたのが左後ろ足も引きずるようになりました。
14番とは違い、3番は横臥している姿を見ることが多かったのですが、両方の後ろ足が痛いため、おそらく立ち続けることにも限界があったのだと思います。搾乳室で自分の搾乳の番を待っている時も、立って待ち続けることができずに床に座り込んでしまうことがありました。そうやって座り込んでいると社長に数度蹴られて起こされました。
跛行が悪化しても、14番と3番は、朝夕の搾乳、スタンチョン拘束時間になると移動させられました。
3番が牛床に横臥したまま起立できないでいると、作業員に尾椎あたりを糞掃除用の大きいプラスチックスコップで叩かれ、牛床からなかなか降りることができないでいると、同じスコップで後ろ足付近を強く叩かれました。搾乳室へ向かう途中で立ち止まってしまうとまたスコップで尾椎あたりを叩かれました。
プラスチックスコップは牛舎の牛の糞をかき出すためのものですが、牛を叩いて追い立てるためによく使われていました。
14番も、牛床から早く出るようにと、痩せて突き出た尾椎あたりを、スコップでガンガンと音がするほど叩かれました。もっとはやく歩けと、スコップの先で尻を突つかれることもありました
牛を道具で叩いたり突いたり、足で蹴ったりする行為は、これまで他の酪農場でも見聞きしてきたので、この農場特有のものではなく、酪農業界では一般的なのだろうと思います。
私は牛を蹴ったりスコップで叩いたりしませんでした。その代わり14番がなかなか牛床から降りることができないでいると14番の頭側に立ちました。すると14番は、足を動かしてためらいながら恐る恐るベッドから降りました。
被食種である牛は、生来的に人を捕食種だと認識しているので、前に立たれると恐れて後ろへ下がる性質を利用したのです。
私のやり方は、蹴ったりプラスコップで叩いたりするよりもマシな方法に見えるかもしれません。けれども痛む足を抱えた牛を怯えさせて無理やり移動させるという行為にかわりはありません。特に跛行牛は、弱って逃げることがままならないため「襲われないか」という恐怖と毎日対峙しています。
そのような怯えておとなしい跛行牛を毎日強制的に移動させながら、自分がやっていることは虐待ではないかといつも考えていました。
ある日、朝の搾乳のために14番をベッドからおろそうとした時、私は初めて14番の鳴き声を聞きました。
私が14番の前方に立って牛床からおろそうとしている時でした。14番は時間をかけてようやくベッドから後ろ足二本をおろしたところで立ち止まって、後ろを振り返りながら前足もおろしても大丈夫か、痛くないかという風に何度もためらいました。そして「ヴォ―」と鳴きました。大きい声でした。「なんでこんな目に合わないといけないのか」と叫んでいるようでした。14番の声を聞いたのはこれが最初で最後でした。
起立から横臥への移行が、跛行牛にとって難しいものだと頭では知っていましたが、実際に14番がどうやって横臥するのかを見たのは働き始めて一か月たったころでした。
朝の作業が終わり、帰り際の8時半ごろ帰り際に牛舎を見ると14番が牛床で横臥しようとしているところでした。
牛が起立から横臥に移行するには、まず前足二本の膝を先に曲げて前屈姿勢を取り、その後で後ろ足二本の膝を曲げる、というやり方です。
この時14番は膝を曲げて頭を突き出した前屈姿勢で、長い時間、曲げた前膝の位置をずらしてみたり、後ろ足を踏みかえてみたりと繰り返していました。後ろ足を曲げる勇気がなかなか出ないのが見ていてよくわかりました。そしてようやく、治療をしていないほうの左後ろ足を体の内側に少し曲げたかと思うと、そのまま崩れるように左側に倒れました。座ったのではなく倒れたのでした。
倒れる時に、両後ろ足をぶるぶると震わせていたことから、倒れないように踏ん張っていたことがわかりました。でも倒れるしかありませんでした。
倒れた時に14番の骨ばった背中が牛床の枠に当たるガンと言う大きい音が響き、餌放り投げで背中に大量に乗っていた飼料がドサッとベッドの上に落ちました。
14番は体のあちこちに傷がありました。特に目立ったのは痩せた背中の突き出した骨(胸椎)の部分にできた擦り剝けた傷でした。右後ろ足の付け根にも大きな傷があり、ヨードを付けても出血を繰り返して治りませんでした。いつまでたっても治らないこれらの傷はどうしたのだろうと以前から思っていましたが、毎回あんなふうに横臥するたびに体をぶつけていれば、治癒しないのも当然でした。
14番がどうやって横臥するのかを見たこの日、社長から来月3番と14番は近いうちに出荷(屠殺)すると聞きました。
治療をしてもらえず、痛みにただ耐えて毎日朝夕搾乳され、背中を丸めて追い立てられ、時々これ以上無理だというように立ち止まる14番と3番を毎日見ていると、私は出荷の日を心待ちするようになりました。死ぬ以外に14番と3番がこの苦悩から逃れる方法はありませんでした。
再び蹄の削蹄・治療のために削蹄師らがやってきましたが、今回も14番と3番は治療されませんでした。社長に聞くと、やはり出荷するから治療はしないとのことでした。そして4日後に14番と3番を出荷すると言われました。
出荷2日前、朝5時に出勤して牛舎を見ると、14番はまた牛床に立っていました。長く垂らしたよだれが、ベッドに滴り落ちていました。牛は反芻する時もよだれが出ますが、これだけ長く垂らすのは正常ではありません。一晩中立っていたのかもしれないと思いました。体はガリガリでした。
この日、夕方の搾乳が終わって牛舎に戻った牛たちは、それぞれ餌を食べに行ったり、水を飲みに水飲み場へ行ったりしていました。でも14番だけは牛床の上で、前膝をついて、横臥しようと試みていました。しばらく見ていましたが、前屈姿勢のままで、なかなか後ろ足を曲げて横臥することができないでいました。作業がひと段落して、再び14番を見に行くと、牛床に横たわっていました。多分ガンッとストール枠にぶつかりながら倒れたのだろうと思いながらも、横臥した姿に少しほっとしました。
出荷前日もいつもと同じ繰り返しでした。
搾乳の時間になると14番はプラスチックスコップで何度も前足を叩かれて牛床からおろされ、搾乳室では竹で追い立てられました。
右後ろ足の付け根からは再び出血し、スタンチョンに拘束されている時は餌を放り投げていました。18時過ぎに仕事が終わって帰るころ、14番はまた牛床に立ったままでした。
翌日の出荷当日の朝5時、14番はまだ牛床に立っていました。
朝の搾乳の時には、14番が牛床からなかなか降りられないでいるとスコップで従業員に何度もガンガンと音を立てて前足を叩かれ、ベッドからようやくおりると、ひょこひょこ歩きながら搾乳室へ移動し、搾乳室の個別ストールになかなか入れないでいると「早く!」とせかされました。
8時半に朝の搾乳作業が終わって私が家に帰り、再び14時ごろに出勤すると、14番と3番はもう出荷されたあとでした。
どんな気持ちでトラックに乗せられ屠殺場へ連れていかれたのだろうと私は考えました。これまでずっと牛舎の中だけで過ごしてきた14番と3番は、トラックに乗るのにも輸送中に聞こえる騒音にも、屠殺場の見知らぬ人、屠殺場で嗅ぐ血のにおいにも、ひどく怯えただろうと思います。
唯一救いなのは、二頭が一緒に屠殺場へ運ばれたことでした。同じ時期に産まれ一緒に過ごしてきた14番と3番はよく一緒にいました。隣り合った牛床で、3番が14番の頭を舐めている姿は、同じように跛行に苦しむ14番を慰めているように見えました。この農場を出されてから、14番と3番は、怯えながらもお互いにいたわり合っただろうと思います。
ある従業員は、牛舎の牛たちを見ながら「経済動物だからこいつら。しぼってなんぼだから。お金を稼いでなんぼなんで。お金を稼げなくなったら淘汰だよね」と言っていました。
たとえ経済動物と言われていても、私たちと同じように感受性のある生き物です。蹴ったり掃除道具で叩いたりするのは動物虐待ですし、出荷するから治療しないというのも、跛行する牛を毎日無理やり歩かせるのも虐待だと思います。
見過ごされがちですが跛行自体が虐待なのです。跛行の原因は、舎飼い・コンクリート床・放牧しない・過密・ストレスなどの人為的なものだからです。私が働いた農場のように放牧されず運動場もなくコンクリートの通路しか歩く場所がない舎飼いという飼育環境は多くの酪農場に共通しています。乳牛の跛行発生率は20-50%と言われるほど高く、14番や3番のような日々を送っている乳牛は多いのです。
もし私たちがこれからも牛を利用するのであれば、牛に対する敬意と思いやりを持って、いまのような牛の扱い、飼育環境は変えていくべきだと思います。それができないのならば牛を利用し続けるべきではないと思います。