14番と同じ農場に、57番という牛もいました。57番の苦しい最後についても、元従業員が克明に記録しており、レポートにしてくれました。みんながカフェや給食で飲んだり、料理に入れて食べたりする牛乳のために、14番も57番も、奴隷として暮らし、苦しみの中で殺されていきました。どうか最後まで読み、57番のことを知ってください。
乳牛は、乳がたくさん出るように品種改良されています。そのため代謝障害などの病気が多く、起立不能になることも珍しくありません。私が働いた農場でも起立不能になった乳牛がいました。その牛は起立不能になって13日後に殺処分されました。
その牛は57番と呼ばれていました。57番は腰を痛め、足を引きずっていました。朝夕の搾乳のために移動させられる時は、一歩進んでは止まり、一歩進んでは止まりながら、足を震わせて歩いていました。
跛行牛は足がX脚になります。搾乳する時は牛の後ろ足の間からミルカー(搾乳器)を入れて乳頭に装着するのですが、X脚になってしまった57番の後ろ足の間からはミルカーを入れることが難しく、従業員に無理やり足を開かされていました。搾乳が終わって牛舎に戻る時も、牛舎までの10mを、長い時間をかけて戻っていました。
牛床からなかなか立ち上がることができないでいると、痩せて骨ばった体を、掃除道具でガンガンと音が鳴るほど叩かれて起こされ、搾乳室へ追い立てられました。57番はもう乳があまり出なくなっていたのですが、それでも毎日朝夕の二回、しぼんだ乳房から乳が搾り取られました。
そしてある日、57番の乳からブツがでました。ブツと言うのは絞った乳汁中に出てきた凝固物のことで、乳房炎を示すものです。ブツが出た牛の乳は出荷できません。
獣医師に診てもらったところ、57番は第四胃変位にもなっていました。腰を痛め、足を引きずり、乳房炎で第四胃変位にもなってしまった57番を、社長は潰す言いました。潰すというのは殺すという意味です。
57番は搾乳を止め、分娩ペンへ移動されることになりました。分娩ペンというのは分娩前後の乳牛が収容される囲いのことで、57番のほかに分娩間近の乳牛も入れられていました。ほんとうなら病気の牛だけが収容されるペンがあればいいのですが、そのような余分なスペースがありませんでした。
57番の耳標は紛失していました。社長が言うには、耳標が無い状態で殺処分はできないということで、再注文した耳標が届くまで殺処分を待たなければなりませんでした。
分娩ペンに移動させられた2日後、57番は立つことができなくなりました。
57番は立てなくなっても、這いずるようにして時々場所を移動していました。寝返りしたかったのです。57番はずっと同じ側を床につけたままでした。体重の重い乳牛は寝返りを打たなければ血行不良になり、麻痺や壊死にもつながります。起立不能になった牛は自力で寝返りができないため、一日に最低でも3-4回、寝返りしてあげなければなりません。しかし社長は57番をそのままにしていました。
57番が寝返りできずに3日たち、私は社長に、57番に寝返りをさせる必要があると伝えました。しかし社長は「そうしたほうがいいんだけどね」とやる気がなさそうでした。農場で働くのは社長と私を含め、常時2-3人しかいません。私は一人で57番の寝返りを試みましたができず、どうすればいいのかと悩みました。そしてこの日の午後、土砂降りになりました。
分娩ペンのサイドにはカーテンが取り付けられていましたが、それはボロボロで8割がた外れてしまっていました。そのため分娩ペンに雨が大量に入り込み、57番に降りかかりました。突然の豪雨に57番は驚き、立とうともがいていましたが立つことができないでいました。57番はシャワーを浴びたようにびしょ濡れになりました。
どしゃ降りが止んだ後、社長は気が変わったのか、57番を寝返らせてみようといってくれました。私はほっとしましたが、その寝返らせ方は、牛の腰角を器具で挟んで締め付け、それを重機で吊り上げるという方法でした。ガリガリに痩せて飛び出した腰角だけで支えられて吊り上げられる姿は、見るからに痛々しいものでした。
寝返った57番の、ずっと床に着いていた側の体は茶色くしめっていました。こんなになるまで放っておいて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
社長はその後も、57番をなかなか寝返りさせようとしませんでした。それで私はたびたび社長に57番を寝返りさせないといけないと訴えました。社長はやっても意味がないと渋りながらやってくれる時もありましたが、最後のほうは「もうこのままのほうがいい」「やっても同じだから」とやってくれなくなりました。
結局57番が起立不能になってから殺処分されるまでの13日間、寝返りさせてもらえたのはたった5回だけです。57番はどんなに苦しかっただろうと思います。
分娩ペンの敷料は数週間に一度程度しか交換されなかったため、寝たきりの57番の尻の周りには糞がたまり、足元には尿の水たまりができ、動けない57番にはたくさんハエがたかりました。
私は仕事が終わると57番の下半身をマッサージしました。57番はさらにやせ細り、目ばかりが大きくなっていました。
起立不能になってから、57番は二度横転しました。
横転しても元気であれば自分で身を起こすことができます。しかし57番にはそれがもうできなくなっていました。横転した57番は怯えたように目を見開いていました。顔には大量のハエがたかっていました。被食種である牛にとって、動けないというのは「襲われないか」と言う恐怖になります。起立不能で、身を起こすこともできなくなった状態は、57番にとってとても恐ろしいものだったに違いありません。
私は急いで社長に知らせました。しかし「そのままにしといて」と言われました。横転したまま放置すると第一胃のガスがたまって呼吸困難になることもあります。ハラハラしながら待ち、社長がやってきたのは1時間後でした。
社長はタイヤショベルのバケットで、57番を押して起き上がらせようしました。しかしバケットで57番を少し起こしても、すぐにまた横転してしてうまくいきません。重機で押されては転がり押されては転がりと繰り返し57番は分娩ペンの隅にどんどん押されていきました。57番の腹部は激しく上下し、息を荒げていることが分かりました。
ようやく身を起こすことができた時、重機で何度も転がされた57番は傷だらけになっていました。右肩は裂けて出血し、顔はあざだらけで、眼は腫れて涙が出ていました。
仕事の合間に57番のマッサージをしながらその体をよく見ると、あちこちに裂傷があり、血がにじんでいることに気が付きました。重機での移動で、57番は鼻血を出したこともあります。鼻血に驚いて、社長に獣医師に診せないのか聞くと「診せない、もう終わりだから」と言われたこともあります。
57番の前足の皮膚も擦り切れていましたが、これは起立困難になってから、何度も硬い床の上で、前膝をついて起き上がろうともがいたためです。敷料はありますがそのすぐ下は硬いコンクリートなのです。
57番が殺処分される4日前、3週間ぶりに分娩ペンの敷料が交換されました。分娩ペンにいた別の牛は出産が終わり、搾乳牛の囲いに移動になったため、57番は殺処分されるまでの日を一頭で過ごすことになりました。
57番は起立不能になってはじめのころは這いずって移動していましたが、もう這いずることもできなくなっていました。この日から殺処分されるまで、57番はずっと同じ場所で、同じ姿勢でいました。寝返りもさせてもらえませんでした。社長に寝返りさせたほうがいいんじゃないかと何度聞いても、もう動かさないほうがいいと言われました。
立てなくなった57番の前に、わたしは毎日一日4回、水と餌を持っていき、尻周りの糞尿でドロドロの敷料をテミ(手箕)ですくって入れ替えました。私がそばへ行くと「何とかしてほしい」と言う風にじっと見つめてきました。ずっと同じ姿勢が辛いのです。
57番は何度も頭を振り、前膝をついて身を起こそうと試みていました。足がしびれて動きたかったのです。繰り返しますが、本来なら起立不能になった牛は一日に最低でも3-4回寝返りさせなければならないのです。57番はどんなに姿勢を変えたかっただろうかと、このことは自責の念として、私の中にずっと残ることになりました。
57番の耳標が届き、殺処分が行われることになりました。その方法は消毒剤を血管に注射するというやり方で、麻酔も鎮静剤もありませんでした。
社長が膝で57番の頭を地面に押さえつけ、獣医師が消毒薬を注射投与しました。注射が終わって社長が膝を放すと57番は頭を持ち上げきょろきょろと不安そうにあちこちを見回すような仕草を見せ、頭をのけぞらせました。続けて頭を地面につけて、また頭をのけぞらせました。そのままの姿勢で何度も瞬きし、耳をぴくぴくさせ、口を開けて舌を出しました。そして荒い息を繰り返したあと、動かなくなりました。
57番は5歳でした。殺処分の朝、獣医師が乗ってきた車が分娩ペンの近くに止まった時、57番は不安そうに頭をもたげてその車をみつめていました。
乳牛はおとなしく、人に従順なのが特徴です。
57番は牛舎の中に一生を閉じ込められ、草や土の上を歩くこともできませんでした。掃除道具で叩かれて足を引きずりながら搾乳室へ追い立てられても、体中傷だらけになっても、寝返りさせてもらえなくても、反抗してくるようなことはありませんでした。ただじっとこちらを見てくるだけでした。
農場では牛は家族のように扱われていると思っている人もいるかもしれません。でも実態はそうではないのです。感謝ではすまされない過酷な現実があることを知ってほしいと思います。
57番のミルクは、死ぬまでずっと、牛乳、チーズ、ヨーグルト、カフェのミルクなどに使われてきた
どの大手乳業メーカーの牛乳にも入っていた
今も同じように、苦しむ牛たちのミルクと乳製品がスーパーに並び、カフェのカップにそそがれている
私たち市民が57番を救う方法は唯一つだ。
牛乳から、離れよう。乳製品から、離れよう。