犬や猫については動物虐待の罪状がつくようになってきたが、その他の動物については無法地帯かと思うほど”不起訴”が続く。
犬猫だけを守り他の動物を守らない姿勢は、この国の成熟度が低いことを表しているといえる。犬猫への扱いを良くすれば他の動物も良くなると信じている人もいるかも知れないが、その理論に根拠はなく、むしろ格差は開くばかりだった。
とはいえ、動物愛護管理法の罰則は、すべての愛護動物にかかっており、実験施設で飼育されていようが、実験中であろうが、畜産場で拘束されていようが、屠殺場で殺されるときであろうが、すべて適用される。
しかし、いかんせん、動物愛護管理法はとても難しく書かれており、判断ができない。
環境省は行政や警察が判断できるように動物虐待のガイドラインを策定しようとしてくれている。私達アニマルライツセンターは、JAVA、PEACEとともに環境省に対して、いくつかの点を明確にし、市民や行政が何が虐待か判断でき、かつ使える法律になるよう、要望をしている。
まず環境省はすでに何が虐待なのかは示している。
しかし、これがなぜか自治体職員の手にかかると、無効になってしまうのが今の日本という国である。過小評価するのが癖のようだ。
動物虐待が、個人の資質である場合と、組織の指示や不作為によるものである場合があるが、後者を取り締まれないことは、より多くの動物が苦しむことになる。
なぜか現状では個人が行った虐待は取り締まれるが、組織が行った虐待はすり抜けてしまっている。虐待の被害者数が多い場合には容認されてしまう社会というのは、恐ろしい。しかし、現状そうなっていて、被害者数が多いとそれは一般的なことだからと「みだり」な虐待ではないとされてしまうのだ。より多くの動物が苦しんだのに・・・!
法人等が組織的に行っている虐待の場合、実行者は従業員だが指示したりマニュアルを用意したりするのは会社側であることが多い。この場合、法第48条で個人の罪に追加して法人にも罪がある旨が記載されている。しかし、その判断は一般的にはわかりにくい。
「保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと」とあるが、放置していて死ななければ、傷がふさがったり骨がつながったりはするがそれは治療とは呼ばず、罰則規定に当たることを明確にする必要がある。
「酷使し、その健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束し、又は飼養密度が著しく適正を欠いた状態で愛護動物を飼養し若しくは保管すること」はそれぞれ長期に渡って行われ、結果衰弱することが多く、1日~1ヶ月では影響が見えないことが多々ある。1年後~3年後に酷使や拘束、保管方法が原因で衰弱する可能性がある場合、それを是正できるように、適用できるケースを明確にする必要がある。
動物の種やここの体力に見合わない荷物を運ばせたり、長時間見世物にしたり、死ぬことを前提に使役するなどが行われているが、実際には取り締まれておらず、適用できるケースを明確にする必要がある l飼養密度が著しく適正を欠いた状態の定義を明確にしてください
動物が嫌悪感を感じない、足裏等に炎症ができるなどが起きない、運動量が減らない、また隣の個体や壁にぶつかることなく横臥できるなど、指標を明確にする必要がある。
※なお、農水省には密飼いの目安があるがそれも国際的に見ると(つまり科学的に見ると)異常な数値であり、採用すべきではない
海外の法律では明確に禁止されているケースも見られる。国内でも起きており、この行為自体が虐待に当たることを明確にする必要がある。
虐待通報の多くはネグレクトであるが、法律が機能することがほとんどなく指導もされないことがある、行政担当者の意識が低いと感じるため上げる必要がある。
動物虐待罪は指導や命令などを減ることなく直ちに構成されるものであり、これが判明した際には、直ちに刑事告発をする義務が公務員にはある。
「動物の愛護及び管理に関する法律の一部を改正する法律の施行について(環自総発第130 5101号 平 成 2 5 年 5 月 1 0 日」で、不当に法律に踏み込んだ通知が行われ、「なお、我が国で一般的な畜産業における家畜の取扱いは、みだりに 酷使すること及びみだりに排泄物の堆積した施設において飼養することによる虐待には該当しない。」と通知された。たしかに畜産業は糞尿が常に溜まっていたり酷使することを当たり前のように行っているが、これは一般通年に照らし合わせて以上であればやはり罰則に当たるとしなくては、法律は機能していないことになる。この勝手な環境省の判断は、立法意図に反し、また法律自体も軽視しており、勝手な緩和を許容することはできない。2019年6月25日にも同様の内容を求めているが、是正されていない。
「排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管すること」が産業動物であっても罰則に当たるよう、法律に忠実な解釈に戻すことを強く求めている。
殺すことや集約的に飼育すること、拘束飼育や痛みのある施術が前提になっている現代の工場畜産では、なにが「みだり」に当たるか、判断できない(※海外では工場畜産自体をなくそうとする動きがある)「社会通念としての一般人の健全な常識により判別」ということだが、非常に曖昧であり、明確にしていただきたい。
「みだり」とはいえない動物虐待行為 | 「みだり」な動物虐待行為 |
•1回たまたま起きた事故 | •頻繁に起きる事故を防止する措置を取らずにいたなかで起きた事故 •事故や動物が危険にさらされる状態が繰り返される設備を補修や改修せずにいること |
•それしか方法がなく、その事を行わなくては業が成り立たない動物虐待 | •改善策があり、それを実行している別の畜産業者が業を成り立たせているにもかかわらず、継続している動物虐待 •そもそも業務に不要な虐待行為 |
•人に危険が及ぶような場合において行われる危険回避行為 | •人に危険が及ぶような場合に備えて設置又は持っている凶器(機器)を常時使う虐待行為 |
•苦痛を感じにくい部位を持って移動させたり取り扱うこと | •外傷を生じさせたり骨折させたりする危険性がある部位を持って移動させたり取り扱うこと •苦痛や恐怖によって動物を移動させたり取り扱うこと |
•正しい方法での殺処分 | •誤った方法、又は認められていない方法での殺処分 •雑な方法で殺処分をした結果、殺しきらないこと |
•治療できない動物を殺処分すること | •治療も殺処分もせずに放置すること |
畜産業の“やってはいけないこと”や”適切な方法”を行政担当者も警察もしらないという現状がある。動物愛護の担当者だけでなく、畜産の担当者も知識はないものと考える必要がある。実際、昨年は鶏が日常的に農場で殺処分をされていることすら知らない行政担当者と話をし、驚かされた。適切な方法を知らなければ、業者の説明を鵜呑みにする事が多くそれでは指導はできない。
かつて「みだり」とは考えられなかった手技であっても、代替手段や畜産技術の発達に伴い、虐待にあたるようになる 等、記載すべきである。社会通念は変容し、またより人道的に動物を扱うための畜産技術も日々進化していっている(日本の業者はこの事に気がついていなさすぎ!)。
豚の歯切り、麻酔なしの施術や切除、24時間点灯、水とエサを完全に断つ誘導換羽、意識の喪失なし(スタニング)の屠殺 などが該当すると考えられる。OIEの動物福祉規約に従えばより範囲は広がる。
その他、すでに環境省の虐待の定義に書かれている動物を闘わせることなどは、闘わせた時点で虐待となると考えられ、間違いなく取り締まれるようにする必要がある。例外がある取れば、鳴き合わせのような声の大きさや良さを競うことなど、動物同士が実際に掛け合わされない場合は虐待ではなくなるだろう。しかし、もともと闘争心の強い動物(軍鶏や危険犬種など)同士を喧嘩させることは、その行為が発生した時点で虐待と判断しなければ虐待を許していることと同じことだ。
※その他実験動物にかかる虐待についても要望も行ったが、内容はJAVA、PEACEに託します