動物虐待は、人が社会の中で関わるあらゆる動物の取り扱いについて、法的にも、道義的にもあってはならないことであり、産業動物においてもなくしていかなければならないことだ
小泉進次郎環境大臣
2020年11月17日の衆議院環境委員会で堀越啓仁衆議院議員(群馬)の質問により、明確にされた。多くの人にとって、これはあたりまえのことに感じるだろう。しかし、畜産業において、動物虐待が一般化し、誤った手技が横行し、それを是正する自浄作用が働かず、畜産に利用される動物たちは声もあげられずにずっとただただ痛めつけられ続けられる状態が続いているのが事実なのだ。
堀越議員が行った質問、環境省が行った答弁は、畜産業に従事するすべての人に向けられたものだと考えていいだろう。畜産場、と畜場、家畜輸送中のトラックの中や周辺に、一歩でも踏み込んだ人に、虐待ではないかと思われる行為を見かけた場合は是正せよというメッセージになるだろう。
堀越議員は「動物虐待、遺棄に関する罰則の強化の部分が、適切に愛玩動物だけではなく、こういった畜産動物、展示動物、実験動物といったところまで拡張できるかどうかに関心を持っている」とし、特に畜産動物について動物虐待罪が明確に適用されることを確認するための質問に立った。
「どの犯罪も同じですが、動物虐待は、人の目につくようなところで行われているわけではありません。愛玩動物だけでなくこれは畜産動物に関しても同じことが言えるわけで、当然ですが動物たちは被害を受けても、声を上げることができず、やはり我々がそれを適切に是正していく必要がある」と人間が動物を利用する上での責任を明確にした。さらに、「畜産業においては、虐待から逃れられない状況が多々ある状況であり、これがずっと行われていくと、畜産業そのものの健全さを損なう可能性が極めて高いものと私は思っています。」と産業としても排除していくことが重要であると述べた。
これに対し小泉環境大臣は、「動物虐待は、人が社会の中で関わるあらゆる動物の取り扱いについて、法的にも、道義的にもあってはならないことであり、産業動物においてもなくしていかなければならないことだ」「私達が食べることを通じてその生命を利用している動物についても、動物愛護管理法に基づいて、その種類や習性に応じた飼育環境を確保するとともに、殺処分をしなければならない場合にもできる限り苦痛を与えない方法によるなど、適切な取り扱いが必要であります。」と応えた。さらに環境省と農林水産省の連携文書に合意したとし、より取り組みを強めることを約束した。
堀越議員はフランスの半数以上の人が禁止すべきと答えるフォアグラ生産を事例にあげ、これについて小泉大臣は個人的にフォアグラを食べないことにしているとも述べるなど、若い世代の国会議員に、動物虐待を排除した食べ物への移行、エシカルな消費への意識が浸透してきていることを示してくれた。これについてはまたフォアグラについての記事で触れたい。
通常パートナー動物を痛めつけるための正当な理由というものは一切ないに等しいが、畜産動物は違う。多くが痛みを伴い、苦しみを伴い、ネグレクト状態である。そのために、虐待行為が産業のためであるという意味合いを付けさえすればなんでも許されているのではないかという迷信を、農業関係者は信じているし、おそらく多くの国民もそう信じ込んでしまっている。
この状況に危機意識を持っているのは、動物保護団体だけではない。国会議員も実態を知るにつれ、そう感じてくれている。
堀越議員は「動物愛護管理法の第44条1項と2項の罰則規定には「みだりに」と書かれていて、この定義が問われているところなんですが、畜産などの業のなかでの意図が分かりづらい。昨年の動物愛護法改正の附帯決議の12において、「十二、畜産農業に係る動物に関して、本法及び本法の規定により定められた産業動物の飼養及び保管に関する基準を周知し、遵守を徹底するよう必要な措置を講ずること。」というふうに書かれていますが、これは裏を返せば産業動物、畜産動物にも法律に則った飼養をするべしと訴えている。やはり周知がまだまだ徹底されていないという実態があるから(このような決議が行われたの)だと思っています。業務に不要な暴力などがみだりに当たるのは、これは想像に明るいわけですが、あやふやに感じる行為も残されてしまうと思っています」とし、環境省に対し改めて畜産業における「みだりに」の定義を質問した。
環境省は以下のように答弁した。
「法第44条では、みだりな殺傷やみだりな暴行等を禁止していますが、条文中のこの「みだりに」というのは、他の法令における一般的な解釈と同様に「概ね正当な理由なく」という意味で用いられるものと解釈しています。
そのうえで、正当な理由のない殺傷や暴行等々は、一般的に不必要に強度の苦痛を与えるなどの残酷な取り扱いをすることをいい、その具体的判断は行為の目的、手段、対応等と、その暴行による動物の苦痛の程度等を総合して社会通念としての一般人の健全な常識により判断すべきものと解してございます。
総合的な判断やその時時の社会通念によるため、とくに正当な理由がない殺傷に該当する行為をここで一律にお示しすることは難しいですけれども、例えば目的についてはそもそもその行為に合理的必要性があるかどうか、手段対応については社会的に容認されているとは言えない残酷な行為か、苦痛軽減の努力をしていると言えるか、あるいは不必要に長い苦痛などの動物における苦痛の程度といった点などを総合的に勘案し、社会通念に照らして、妥当ではない場合にはみだりな殺傷や虐待に当たる可能性があると考えてございます。」
また、一般人の健全な常識により判断されるとされるため、産業の残酷な手技が当然というような感覚での判断基準ではないということも明言されていると言える。これはつまり、いくら畜産業に従事する人が「必要な苦痛なのだ」と主張したとしても、経済的に許容される合理的な方法が他にある場合は「みだりな動物虐待」に当たる可能性があるといえる。
「飼養に関して合理的だと飼養者が総判断していたとしても、一般通念的にはそうではないということも当然ある」ため、OIEなどの具体的に記されているガイドライン(動物福祉規約)に沿わせることが重要なのだ。
あたりまえのことに感じるかもしれない。でも国内の畜産業のあたりまえは、これらを許し続けることにある。
堀越議員はこれまで何度この件について質問し問いただしてくれただろう・・・毎年約50万羽の鶏を生きたまま熱湯に入れて熱傷死させつづけている件を例として説明。またある国内の中規模養豚場で、豚を首吊り(日本の絞首刑のように頸椎脱臼ではない)により殺していたことを取り上げた。そのうえで、「みだりに」に当たることが前提で、以下のものは国としてもなくしていく方向であるのかを確認した。
環境省は高答弁した。
「先生ご指摘の、例えば衰弱死を例に挙げさせていただけば、その中には治療の甲斐なく死亡に至ると行った場合もございますので、個々の行為が虐待に当たるかを一律に判断することは困難であると思いますが、ご指摘のような行為を法が許容していると考えることは一般論としては想定しにくいというふうに思います。
たとえば動物の殺処分方法の指針では、「動物を殺さなければならない場合はできる限り苦痛を与えない方法を用いて、意識の喪失状態にし、心機能、または肺機能を非可逆的に停止させる方法等による」としてございます。」
個別の事例はまた個別に背景などを見ていく必要があることは当然であるが、いずれにしても原則的に、堀越議員が指摘した3つの行為は法は許容していない行為であるといえる。
企業はまず第一に法令遵守という言葉に逃げ込むくせがあるが、本当に自身が調達している畜産物が法令遵守された中から生み出されているのか、確認する必要があるだろう。そして、農場、屠殺、輸送など生きた畜産動物が関連する工程に携わるすべての人は、これを認識しなくてはならない。
2020年6月の改正動物愛護法の施行以降、すべての獣医師は動物虐待を見かけた際の通報義務を負っている。職場の仲間だからなどと言って見逃してはならない。ガイドラインに沿わない方法をとっていれば、それは不適切な方法であり、違法に当たる可能性を持つと考え、より厳密に業を行うべきである。生命を扱う、生命を犠牲にして金を得るからこそ、他の職業よりも、一層の責任がかかっていると考えてしかるべきなのだ。
そして、この答弁を受けて堀越議員が述べた
「すべての農家さんがそうではもちろんありません。しかしそうした事例がひとたび世に出てしまったりすると、産業全体に打撃を与えることになりかねない」
ということを、肝に銘じ、業界として自浄作用を働かせてほしい。虐待を、自ら排除する仕組み、そこに第三者の目を入れて健全化する取り組み、そういった仕組みがなければ調達しないとする調達側の取り組みが今後強く求められる。
ファイザー製薬の残酷なライブハンドピッキング禁止そんなに鳥の毛が必要ですか!
国会でこのような議論が行われることが非常に心強く感じます。物言わぬ動物達の代弁者として、堀越さんが闘ってくれることを心から応援したいです。
ただ、官僚の方々のお返事があまりに曖昧で、具体的な数値目標がなく、残念に思います。文章を読み上げるだけで、心のこもった本気度の感じられる言葉はなかったように思います。本気であれば、政策を進める上でネックになっていること、それを解消する為に必要なこと、何が必要であるかなど省庁側からも要望が出てくるはず…ふわっと残酷な行為を減らしていきたいといったところで何人の生産者が動くでしょうか。