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生徒に殺しを強いる命の授業とは?福岡県立久留米筑水高等学校

*2015年頃、この授業は中止になりました(2021年4月確認)。理由については当時の職員が残っていないため不明とのこと。

学校の名物授業?

2013年2月24日放送 情熱大陸(TBS)で命の大切さを教えるために、生徒に鶏を飼育・と殺解体させている福岡県立久留米筑水高等学校の授業が紹介されました。

番組では、1年生を対象に、教師が40人の生徒に一つずつ受精卵を手渡すところから、3ヶ月飼育し、と殺・解体させ、食べるまでを追っています。
一人に一羽ずつ与えられた生徒たちは、鶏の懸命に生きる姿をみせられ、その 温もりと命の感触を感じ、鶏の成長とともに愛情を深めていきます。その生徒たちは最終的に「工場へ出荷する」「と殺する」のどちらかを選択させられます。
と殺の際には涙を流す生徒、ナイフを握らされ「ちょっと待ってください」とためらう生徒などもいました。
この取組みは16年前から続けられており、学校の名物授業として、TV番組の情熱大陸等、各種メディアで取り上げられています。
 
命について真剣に考える機会の少ない社会で、このように命に向き合おうと試みる学校は少ないのではないかと思います。しかし、この授業には見過ごすことのできない根本的な問題が3点あります。
 
1. 実際の畜産の現場は、この授業のように鶏が一匹一匹丁寧に扱われ、人と動物が触れ合うというような素朴なものではない。この授業の飼育方法と、現実に商品として工場式に大量生産され市場に出回る畜産動物の飼育方法が大きく違うため、生徒は畜産業について誤った認識をしてしまう可能性がある。
 
この授業では、生徒たちは3ヶ月かけて、1羽1羽を丁寧に育てましたが、現実には何万という鶏が建物の中に一時に投入され、2ヶ月足らずで生きたままカゴに詰められ出荷されており、一羽一羽がかけがえのない命として扱われてはいません。歩けなくなったり病気になった鶏は淘汰(殺処分)され、鶏がその一生を過ごさなければならない鶏舎内の収容密度は16羽/㎡です。これから生徒の口に入る鶏肉のほぼ100%がこういう工場方式で育てられた鶏の肉であることを考えると、真実からは大きく隔たった授業になってしまっています。
 
2. 最終的に、生徒は「工場に出荷する」か「自らと殺する」のどちらかを選択せねばならない。鶏は必ずと殺され食べられるもの、という内容の授業のため「肉を食べなくてはならない」という誤った栄養学上の知識を生徒たちに与えるおそれがある。
 
現実には牛や豚や鶏の肉を食べずとも、必要な栄養素を摂取することは十分可能であり、健康面からベジタリアンになったスポーツ選手や著名人は少なくありません。命あるものを殺すことが、かわいそうだと実感したなら、「肉を食べない」という栄養学上なんら問題なく、動物にも優しい選択肢もあることを、教師は生徒に示す必要があります。
 
3. 殺すことで命の大切さを教えることはできない。
 
基本です。
 

 
私たちは上記の問題をふまえ、福岡県立久留米筑水高校へ、16年続いている「命の授業」について再考していただけるよう要望書を提出しました。

要望書

はじめまして。
私たちは、人間と動物が穏やかに共存できる社会を目指し、1987年に設立されたNPO法人です。
娯楽や畜産、医科学など、さまざまな分野で利用される動物の権利の向上のために、消費者に対する全国的な啓蒙活動を行っています。
御校の、鶏を飼育し、と殺・解体し食べるという授業が、テレビで報道されて以降、当法人へ消費者の方から多くの意見が寄せられました。それらの意見を代表して、お手紙させていただいています。

この番組を拝見しましたが、肉が動物の命を奪ったものであることに、多くの人が気付いていない社会において、御校のように、生徒たちに動物の命に正面から向き合わせようとする姿勢は、すばらしいことだと感じました。

しかしこの授業の内容については、今一度御校にご検討していただきたいと思うことが2点ございます。

1. この授業での畜産動物の飼育方法と、現実に商品として工場式に大量生産され市場に出回る畜産動物の飼育方法が大きく違うため、生徒たちは畜産業について誤った認識をしてしまう可能性があると考えられます。
この授業では、生徒たちは3ヶ月かけて、1羽1羽を丁寧に育てられましたが、現実には何万という鶏が建物の中に一時に投入され、2ヶ月足らずで生きたままカゴに詰められ出荷されており、一羽一羽がかけがえのない命として扱われてはいません。歩けなくなったり、病気になったりした鶏は淘汰(処分)され、鶏がその一生を過ごさなければならない鶏舎内の収容密度は16羽/㎡です。現実には生徒の口に入る鶏肉の多くがそういった工場方式で育てられた鶏の肉であることを考えると、命の真実を伝えることから大きく隔たった授業になってしまっているように思います。また、殺すことで命の大切さを教えることはやはり不可能であると思われます。
以上のことから、現在の授業に替わり、現実に畜産動物がどのように育てられ、と殺されているのか、写真や動画、飼育密度などのデータを元に授業することを検討していただけないでしょうか。牛・豚の多くは病気を持っており、一部分のみが廃棄され残りの肉が流通経路にのせられています。福岡県内においてと殺され市場に出される牛・豚の肉の6割以上が、そのような病気の畜産動物の肉です。こういった事実を生徒たちに知らせ、一人一人が現代畜産業の問題点について考えることのできる授業にしていただきたいと思います。

2. 最終的に、生徒は「工場に出荷する」か「自らと殺する」のどちらかを選択せねばなりません。鶏は必ずと殺され食べられるもの、という内容の授業のため「肉を食べなくてはならない」という誤った栄養学上の知識を与えるおそれがあると思われます。
現実には牛や豚や鶏の肉を食べずとも、必要な栄養素を摂取することは十分可能であり、健康面からベジタリアンになったスポーツ選手や著名人は少なくありません。海外では都市ぐるみで「ミートフリーデー(肉なし日)」に取り組んでいるところもあります。また、地表面積の30%を占める畜産業は環境破壊の大きな原因となっており、国連環境計画などの国際機関は環境の維持のためには肉食を減らす必要があるとも言っています。
肉食を減らそうという取り組みが世界的に進められている中、「肉を食べない」という選択が、栄養上なんら問題がないだけではなく、環境にも優しい選択であることを、生徒たちへ示して頂けないでしょうか。

以上2点です。

命に真摯に向き合おうとされている御校におかれまして、この2点を考慮した授業をしていただけますことを、こころよりお願い申し上げます。
お忙しい中まことに恐縮ですが、上記2点につき、同封の返信用封筒で、ご回答をいただけますよう、どうぞよろしくおねがいします。

わたしたちは、動物の置かれている状況の真実を若い世代に知っていただきたいと思っています。また「動物を殺すことがかわいそう」と感じたのなら、「食べない」ということも選択肢のひとつだということも、知っていただきたいと思っております。

現在の畜産業がどのようなものか、畜産業の問題点の改善のために国際的にどのような取り組みがなされているか、肉食と健康と環境との関係についてなど、御校の生徒たちにお話をする機会を与えていただければ、喜んでお伺いします。

学校からの回答

2013年5月10日

要望への回答をいただけなかったので、問い合わせをしました。
教頭先生と話をしたところ「今後もこの授業を続けます」とのことでした。

私たちが要望していた1点目の「現実の畜産業を、写真やデータをもとに教える授業に替えてほしい」という点については、こういった現代の畜産業とその問題点(鳥インフルエンザや抗生物質の投与など)については、生徒に教えている、ということでした。
2点目の『肉を食べずとも必要な栄養素を摂取することは十分可能である』ということについては「認知していなかった」とのことです。動物性食品を摂取することの健康への害もあわせて、「担当教諭に伝えます」とのことでした。

話をしていて、動物は農産物ではなく、ひとつひとつがかけがえのない命であるという考えと、畜産動物はあくまで経済動物、殺すことで『命に感謝していただくことを教える』という考えの間には大きな溝があると感じました。

みなさんからも、メールやハガキなどで、どうぞ意見を届けてください。
社会を変えるのは私たちの力です。

福岡県立久留米筑水高等学校
〒839-0817 福岡県久留米市山川町1493
info@kurumechikusui.fku.ed.jp

2013年9月2日

 
『肉を食べずとも必要な栄養素を摂取することは十分可能であること』『動物性食品を摂取することの健康への害』を担当の先生に伝えていただけたか確認したところ、『伝えました』とのことでした。
ただ実際に担当の先生が、ベジタリアンの栄養学や肉食の害について調べているのか、今後この授業(9月末から行われる予定だそうです)に反映させるのかは、先生に任せており分からないそうです。
『栄養学的に肉を食べないことがどうなのか、健康への害などを分かりやすくまとめた資料をおくるので、担当の先生に渡してもらえないか』というと、『送ってください。担当に渡します」とのことでした。
 
 
2013年9月10日

・「ベジタリアンの医学」蒲原聖可著
・「ベジタリアンは菜食主義ではありません」Natsumi著
・「ごはんでエコ」などのパンフレット
・ベジタリアンの栄養学についてまとめた資料
以上4点を久留米筑水高校へ発送しました。

 
2013年9月17日
久留米筑水高校 教頭先生に、書類が届いたことを確認。担当学科に渡し、「必要があれば授業に反映させるよう伝えました」とのこと。
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2 コメント

  1. 2022/03/16

    こんにちは。筑水高校食品流通科で命の授業をした事がある生徒です。
    『大きな溝がある』同意見です。考えが全く違いますから。

    あなたたちは生徒に鶏を殺すことを強要すると記述してますが、私たち生徒はその授業がある事・内容を明確に理解した上で入学しています。また、生徒にもちゃんと選択肢はありました。強要ではありません。
    現実の畜産業の授業をして欲しいと言う点は理解できますが、動物の肉を食べるなベジタリアンになりましょう!は押しつけです。食品流通科は食品について勉強する場所であり野菜、果実、発酵や微生物を学び様々な食品の中で肉だけ学ばないのはおかしい。
    私たちはこの授業で食肉に興味を抱き、調べたり、スーパーに並ぶ食肉を見て様々な事を思います。お肉を食べなきゃ!と変には思いません。あの授業と命の大切さを思い出し、育ててくれた人や私たちの代わりに命を屠殺し肉に加工してくれた人がいるので私たちはいつでも手軽にお肉が食べられる感謝はあります。
    手軽に肉を買える世の中で、せっかくの命を屠殺した命を当たり前と思うな!肉も野菜も加工品も、誰かが手を加えて自分達が食べる事が出来てる。感謝を忘れるな。先生達はここを教えてるんです。
    殺すことで命の大切さを教える事は出来ない。基本です。
    とか書いてますが、私たちは鶏を触れ合いながら育て、屠殺の瞬間の鶏の温もりや包丁から伝わる肉の切れていく感覚、儚く消えゆく命を目の前で見て、解体して食して…体感したんです。それは映像や教科書では決して分からないものです。
    動物を殺して可哀想だとか菜食主義云々ではなく、食品と命について深く考え体感する授業だったんです。

    私が1番悲しいのはあなた達が抗議文を送りつけた事で公立校という限られた場所で、命を体感する貴重な授業とそれを指導することの出来る貴重な先生、真鍋先生が抗議の責任を取って辞めざるを得なくなり、その後の何百人、何千人の食品流通科を卒業する生徒達が命の授業を受けられなくなったことです。あの体感出来る授業はすごく貴重な命の大切さを本当に学べる機会だったのに…無くなった。
    あなたたちは生徒の学びの場を奪った。

    返信
  2. 2022/05/24

    こんにちは。
    日本在住言語教育専門の博士課程、中国人留学生です。

    まず私の2つの意見を述べます。

    ①「命の授業」の最後の「殺す」と「自分が飼っていた鳥を食べる」という授業デザインに不賛成です。
    ②「現実には牛や豚や鶏の肉を食べずとも、必要な栄養素を摂取することは十分可能」という選択肢を人に情報共有すること自体賛成しますが、それ以上極端的な考え方(例えば、「動物たべちゃダメです」とか)に賛成しかねます。

    次に、ほかの方のコメントへの返事にもなりますし、少し私の意見について説明させていただきます。私が注目するポイントは「殺すこと」、あるいは「屠殺体験」を学校教育の項目にすべきですかということです。

    ①「私たちは鶏を触れ合いながら育て、屠殺の瞬間の鶏の温もりや包丁から伝わる肉の切れていく感覚、儚く消えゆく命を目の前で見て、解体して食して…体感したんです。それは映像や教科書では決して分からないものです。」とほかの方がコメントされましたが、屠殺場での働く経験は決して誰でもあるわけではありません。屠殺場での仕事は人の心に大きな影響を与えることもよく存じておりますが、それを理由として学校教育の形で学生に体験させることは不慎重な考え方ではないかと思います。もし「いいえ、そうではないよ」と思われますなら、以下の2つの例はいかがなさいますでしょうか:
    1、離婚家庭での子供が早めに孤独やいろんな争いの体験ができるから、同年齢の子供より成熟な性格が育成できる可能性が大きく、一般家族の子供より家族、夫婦愛の重要さがわかる可能性もあるから、学校教育で何ヶ月「離婚実体験」を学生にさせます。
    2、戦争に参加した兵士たちは、一般人がなかなか想像できない残酷な体験をしましたため、一般人より平和の大切さがわかっていますから、学校教育で何ヶ月「戦争実体験」を学生にさせます。
    ps:中国大陸の方は、政治宣伝と洗脳教育のため、一部の小学校で、「凍った生のじゃがいもを食べる」という「戦争中の食事実体験」を子供にさせたことがあります。中国の方でも、大きな批判がされまして、体験授業が中止になりました。

    ②屠殺場での経験によって、もっともっと命の大切さを理解できるようになる可能性があるかもしれませんが、それと同時に怖い逆効果(殺人意欲、自分が生き延びるために、ほかの命を犠牲してもいいなどの誤認識)が出てくる可能性も十分あると考えられています。実は、私が知っている限り、実際に屠殺場で働く従業員も定期的に心理健康検査や心のメンテナンスを受けている必要があるようです。「命の授業」が確かにある意味で人の成長にとって重要かもしれませんが、まだ価値観と人生観が形成している段階の学生に、とても大きな危険性がある「殺す体験」をさせることは、やはり不適切ではないかと思います。

    上述のように、私は学生に「命の大切さ」を教えることに賛成しますが、冷静に慎重に具体的授業項目を立てないといけないと考えております。「殺すこと」の実体験は不適切だと考えております。

    返信

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