2018年8月、鹿児島大学病院で8名*1、静岡市立病院で2名*2の方が、多剤耐性アシネトバクター(MDRA)に感染し、死亡したと報じられた。 これら多くの抗生物質が効かなくなった薬剤耐性菌の影響による死亡者数が2050年には1000万人になると予測されており、今回のような報道を見るとその現実味が増す。
日本は抗生物質(抗菌剤)使用量の約3分の2を畜産分野が占めており、畜産分野での取り組みは急務だ。 アニマルライツセンターは多剤耐性菌(以下薬剤耐性菌という)のリスクを減らすためには、畜産動物のアニマルウェルフェアが必要であることを主張している。この主張は世界では当然になっているものであって、FAO(国際連合食糧農業機関)も、OIE(世界動物保健機関)も、ワンヘルスやバイオセキュリティのためにアニマルウェルフェアが必要であるとしている。 単純に畜産分野での抗生物質を減らせばよいのではない。アニマルウェルフェアの5つの自由を担保することなく、安易に抗生物質の使用を減らしてしまえば、ただ単に動物が苦しんで死んでいくだけ、より病気が蔓延し、バイオセキュリティが崩れるというひどい結果になるだろう。そうなれば、今ですら保たれていない動物の最低限の福祉は、更に悪化することになる。 こういった考え方を理解することはそれほど難しいことではない。自分の免疫力が高まっていれば病気に勝って、低くなれば負けるということも、継続するストレスや精神的恐怖や不安や劣悪な環境は免疫を下げることも、通常の認識能力や常識があればわかることだ。 しかし薬剤耐性菌とアニマルウェルフェアの関係性についての認知度が上がっていない理由は、その医学用語やら病名やら薬剤名の難しさにある。畜産がどう人間への危険性につながるのか、整理してみよう。
畜産と薬剤耐性菌の関係性でわかりやすいのは、以下の2つだろう。
1はとてもわかり易い。 動物自身が薬剤耐性菌をすでに持っていて、薬剤耐性菌入りの畜産物を消費者は多数食べているし、微量だが畜産物に抗生物質自体が含まれていることがある。
2018年3月31日の日経新聞などが「薬効かない菌、鶏肉の半数から検出」と報じた*3。厚生労働省の食品の安全確保推進研究事業で2015年度 ~ 2017年度の3年間行われた食品の薬剤耐性菌の状況を調査したもので*4、ESBLという薬剤耐性菌が国産の鶏肉69%から検出されたという衝撃的な内容を含んでいた。 このESBL(基質特異性拡張型βラクタマーゼ産生菌)は薬剤耐性菌の一種で、多くの抗生物質が効かない。その強い菌が、市販されている鶏肉に高頻度に含まれているということだ。しかも国産のほうが割合が明らかに高い。
鶏肉からのESBL検出割*4 | 国産鶏肉 | 輸入鶏肉 |
2015年 | 77.1% | 75.4% |
2016年 | 81.7% | 66.7% |
2017年 | 48.2% | 15.9% |
3年間平均 | 69% | 53% |
2018年(追記) | 52.0% | 25.6% |
2019年(追記) | 36.0% | 11.1% |
鶏肉だけでなく、採卵鶏の糞からも検出されている。
また他の研究でも立証されており、例えば香川大学の研究では市販鶏肉では 68.0%がESBLを保有していたという*5。
オランダの2017年の研究では鶏肉よりも牛肉のほうが暴露される割合が高いという結果も出ている*6。これはもう一歩進んだ研究で調理方法も関連付けており、牛肉のほうが火を通しきらないことが多いので暴露されやすいと結論づけている。
基準値を上回る抗生物質自体が肉や卵自体から検出されることはあまりない。基準値を超えている場合は食品衛生法により違法になる。ただし基準値以下では、含まれていることがある*7。 厚生労働省が規定した基準値を安全と感じるかどうかは、人それぞれかもしれないが、含まないことに越したことはないだろう。だってあなたは病気で治療をしたいわけではないのだから・・・
上述の調査では糞にも薬剤耐性菌は含まれていることがわかっているが、糞は農業にもつかうし、何らかの形で農場から外に出される。糞が乾燥したホコリは相当舞い散っている。日本では未だに糞尿が垂れ流されているような劣悪な農場も存在している。養豚場は下水処理を備えるようになってきているが、汚物を取り除いたら放流されている。これらに薬剤耐性菌も含まれている可能性が高いと言う*11。
2は、より人を脅かす可能性がある。 薬剤耐性菌はなかなかの勢いでより強くなっていく。人が抗生物質で重篤な病気を治療しようと思ったとき、もはや効かなくなっている ということになる。感染が怖いのではなくて、「薬剤耐性菌は治療しようとしたとき薬がない!」という状況を生み出すことこが怖いわけなのだ。 畜産動物に与える抗生物質と、人の治療に必要な抗生物質は共通のものが多数ある。耐性菌の成長は人には止められないが、畜産動物を使って、耐性菌の成長を促進してしまった可能性が高いというわけだ。コリスチンの例がわかりやすい。
大多数の抗生物質が効かない薬剤耐性菌に感染した場合、慎重に、より強い抗生物質を投与することになる。次なる薬剤耐性菌を生み出してしまう可能性があるため、病院はできるだけ抗生物質は使いたくないと考える事が多いようだが、そうも言っていられない時が来る。
今、最後の切り札といわれている重要な抗生物質が、コリスチンだ。 冒頭の多剤耐性アシネトバクターに感染した際にも有効である可能性がある。
感染症治療ガイドなどの海外のガイドラインでは、他の系統の抗生物質で効果が認められなかった多剤耐性をもつ感染症の治療には、コリスチンを用いた治療が推奨されている*8。国内でも抗生物質使用ガイドラインなどに掲載されるようになっている。 この重要な薬剤は、他の抗菌薬に耐性を示した以下の菌などへの感染時に使われる。
多剤耐性グラム陰性桿菌
多剤耐性グラム陽性球菌
でも、これまでコリスチンは、畜産分野で飼料添加物(予防目的)としてたくさん使われてきた。 しかし、2015年11月に中国で豚や鳥からmcr-1という耐性遺伝子を持つコリスチンの耐性菌が発表され、大騒ぎになった。中国は直ぐに対応、翌年7月26日に飼料添加物としての使用停止を発表*9、発表から8ヶ月という速度の対応がなされた。
mcr-1は日本やその他の国でもすぐに発見され、上述の厚生労働省の食品の安全確保推進研究事業*4でも2年連続で検出されている。 2015年はまだ検査自体がないが、2016年の調査では市販食用肉の鶏肉14.5%/豚肉2.0%が、2017年の調査では市販食用肉の鶏肉14.15%/豚肉1.58%が、mcr-1を保有していたという。 そして日本でも、食品安全委員会はコリスチンの危険性を中程度のリスクとして、2018年7月にようやく飼料添加物としての使用を禁止した。
「硫酸コリスチンを家畜に使用することにより選択される薬剤耐性菌が食品を介してヒトに伝播し、ヒトが当該細菌に起因する感染症を発症した場合に、ヒト用抗菌性物質による治療効果が減弱又は喪失する可能性及びその程度」を調査し、「硫酸コリスチンが、動物用医薬品又は飼料添加物として家畜に使用された結果としてハザードが選択され、これらの家畜由来の畜産食品を介してヒトがハザードに暴露され、ヒト用抗菌性物質による治療効果が減弱又は喪失する可能性は否定できず、総合的にリスクを推定した結果、リスクの程度は中等度であると考えた。」と結論 食品安全委員会薬剤耐性菌に関するワーキンググループ
※コリスチンはカナダ、米国、オーストラリアでは畜産動物に対しては使用されていない。
でも薬剤耐性菌の怖いところは、一体なにが原因で耐性菌が検出されるのか、いまいちわかっていないところ。 そして、特定の抗生物質の投与をやめても、検出がなくならないところだ。 一度強くなった菌にとって、なにもわざわざ弱くなる必要性はない。自然界や動物の体内の中で着々と育っていく。普段は静かにしているものだから、誰も気が付かない。 コリスチンは過去50年間、畜産分野で使い続けられてきた。2018年になってようやく使用禁止にしてみても、もはや手遅れなのかもしれない。しかも中国はコリスチン入りの飼料を回収する*10というが、日本の場合は回収という話は聞かない。いつでも日本は産業には寛大だ。 本来的に、人間も動物も細菌まみれだ。冒頭のアシネトバクターも環境菌であり、自然界にある。細菌自体が悪いわけではなく、宿主が弱った時に牙をむくことがあるということだ。 そしてそのとき、「いろんな抗生物質が効かない菌だった」ということになり、死者1000万人という予測がされているのだ。 人類の10倍もの動物を飼育するシステム”工場畜産”を、早急に見直すべきだ。 写真:mcr-1
*1 https://www.asahi.com/articles/ASL83544FL83TIPE028.html
*2 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34045150Q8A810C1CC1000/
*3 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28845500R30C18A3CR0000/
*4 国立感染症研究所客員研究員 渡邉治雄 教授 ”食品由来薬剤耐性菌の発生動向及び衛生対策に関する研究 ” http://mhlw-grants.niph.go.jp/ *5 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jamt/63/3/63_13-73/_pdf/-char/en
*6オランダ/公衆衛生・環境保護研究所(RIVM)http://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafetyMaterial/show/syu04640390164
*7 http://www.tokyo-eiken.go.jp/assets/issue/health/webversion/web32.html
*8 北村 正樹 東京慈恵会医科大学附属病院薬剤部 2016 https://www.jstage.jst.go.jp/article/orltokyo/59/4/59_219/_pdf/-char/ja
*9 https://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099(16)30329-2/fulltext
*10 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28165472 *11 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4510610/