14番
彼女に起きたことを
目撃してください
内部告発で牛乳のさらなる残酷さが
明らかになりました
14番と首に番号札をぶら下げられた牛。
右後ろ足を痛めた14番は足を引きずり、低い段差を降りることすら難いほどの痛みに耐えていました。
それでも、ミルク用に飼育されていた14番は、毎日2回、お乳を絞りとられるために搾乳室に追い立てられていきます。
このとき、段差を降りないとならないのです。
14番は両方の足を何度も踏みかえ、牛床から片足を下ろそうとしては引っ込め、下ろそうとしては引っ込め、恐る恐る足をおろします。
14番の体重は6~700キログラムもあり、片足に比重がかかる瞬間、耐えられない痛みが彼女を襲うのです。
痛みを我慢し、14番はゆっくりゆっくり搾乳室に進んでいきます。
骨が浮き出るほど痩せ、痛みで猫背になり、右後ろ足をよろつかせながら数歩歩いては止まり、数歩歩いては止まりと、搾乳室への通路を進んでいきました。
その後ろを、人間が早くしろと追い立てます。
足を引きずる14番にとって、搾乳室前の曲がり角は難関です。立ち止まり、そしてその場で糞を漏らしました。
止まってしまった14番を、農場主が「おら!」と大声で追い立て、痛みのある後ろ足を竹で叩きます。
搾乳されるとき、痛めた足を無理やり開かせされ、搾乳機が乳房に突っ込まれました。従業員は「足を開け」と叩いたりもします。
搾乳中の時間も14番にとって苦痛でした。
搾乳は普通、牛のオキシトシンが分泌されている5分以内に終わらせなければなりません。長く乳を搾りすぎると牛の負担になります。でも14番は16-17分も乳を搾られていました。
乳の出が悪いことだけが理由ではありません。最後の一滴まで搾るという方針で、長時間絞り続けられたのです。
14番はこの長い搾乳の間、いつも後ろ足を踏みかえる動作を繰り返し、おしっこを漏らしました。これは緊張している証拠です。過搾乳が不快で搾乳機を蹴り落す牛もいます。でも足を痛めた14番はそんなこともできず、ただじっと足を踏みかえながらおしっこを漏らして耐えるだけでした。
14時30分から16時ごろまではエサの時間です。スタンチョンに首を挟んで拘束された状態で、目の前に撒かれたエサを食べます。
けれども、スタンチョンに拘束されている間、14番が餌を食べている姿はほとんどみられませんでした。
そのかわりに20~30秒に一回、餌を自分の背中に放り投げ続けました。
この行動は14番が屠殺のために出荷される時まで続きました。
遊んでいるのではありません、エサを拒否するほどの極度のストレス、葛藤、欲求不満が長期にわたり継続しているときに起きる行動です。
2013年3月に産まれた14番、9年にわたる苦しみ、葛藤の結果なのです。
ある日、農場主は14番と3番を来月「潰す」と言いました。潰すというのは生産性がなくなったので殺すと言う意味です。
一緒に殺されることになった3番もまた、ひどく足を痛めていた牛です。一か月違いで産まれた14番と3番は一緒にいる姿を見かけることが多く、隣りや向かい合った牛床にいたり、搾乳室でも隣同士に入ったりする姿がよく見られました。3番が14番を舌で舐めていることもありました。この2頭はお互い親しみを持っているように見えました。
彼女たちの苦しみの一生が終わる日が近づいてきました。けれども、殺されるまでの最後の日々がまた、壮絶だったのです。
14番と3番の足は悪化してきました。さらには、殺すことが決まってから、治療も行われなくなりました。
3番はついに両方の後ろ足を痛め、立ち続けることも難しくなっていました。搾乳室前で並んでいるときも、床に座り込んでしまい、そうすると農場主に蹴られて起こされるのです。
どんなに足の状態が悪化しても、14番と3番は、朝夕の搾乳に追い立てられました。
3番も14番も、立ち上がれなかったり、牛床から降りれなかったり、立ち止まったりすると、糞掃除用の大きいプラスチックスコップで、足や痩せて突き出た尾椎骨を叩かれました。
ある日、朝の搾乳のために14番が牛床から時間をかけて降りるとき、後ろ足二本をおろしたところで立ち止まって、後ろを振り返りながら前足もおろしても大丈夫か、痛くないかという風に何度もためらい、そして「ヴォ―」と鳴きました。大きな声でした。
「なんでこんな目に合わないといけないのか」と叫んでいるようでした。14番の声を聞いたのはこれが最初で最後でした。
14番が横たわるときは、命がけでした。
前足の膝を折り曲げ、前屈姿勢になり、その後後ろ足の膝を曲げて横たわりますが、14番は後ろ足を曲げることを躊躇しました。痛めた足を曲げられないのです。そのため、”横たわる”のではなく、崩れるように左に倒れるのです。
倒れたときに背中が牛床の鉄の棒にあたり、ガンと大きな音が響き、背中に乗った多量のエサがドサッと落ちました。
14番の体は傷だらけで、特に背骨の傷はずっと治りませんでした。
日がたつにつれ、14番が牛床に寝そべる時間が減っていきました。横たわることも、一度横たわると体制を変えることも、痛みを伴うから、立ち続けるのです。
出荷2日前、朝5時、牛舎の中で、14番はやはり立っていました。長く垂らしたよだれが、ベッドに滴り落ちていました。一晩中立っていたのかもしれないと思いました。
出荷前日もいつもと同じ繰り返し。叩かれながら、搾乳に追い立てられ、14番はまた牛床に立っていました。
足を痛めた牛は立ち続ける時間が増え、次第に食欲がなくなり痩せていきます。
14番も、どんどん痩せていきました。
出荷当日の朝5時、14番はまだ牛床に立っていました。その日殺される、でも、まだ牛乳を搾り取られるために追い立てられました。
そして、14番と3番は屠殺場に連れて行かれたのです。
この14番を見続けた元従業員が書いた元のレポートがあります。どうしても削れなかったというそのレポートは少し長いのですが、もっと深く実態を知りたい、14番の一生に寄り添いたいと思ってくださる方は、そのレポートを読んでみてください。
元従業員はこう述べています。
「どんな気持ちでトラックに乗せられ屠殺場へ連れていかれたのだろうと私は考えました。これまでずっと牛舎の中だけで過ごしてきた14番と3番は、トラックに乗るのにも輸送中に聞こえる騒音にも、屠殺場の見知らぬ人、屠殺場で嗅ぐ血のにおいにも、ひどく怯えただろうと思います。
唯一救いなのは、二頭が一緒に屠殺場へ運ばれたことでした。同じ時期に産まれ一緒に過ごしてきた14番と3番はよく一緒にいました。隣り合った牛床で、3番が14番の頭を舐めている姿は、同じように跛行に苦しむ14番を慰めているように見えました。この農場を出されてから、14番と3番は、怯えながらもお互いにいたわり合っただろうと思います。」
と最後の最後のほんの小さな、慰めです。
14番のお話は、日本国内の酪農場で働いた元従業員からのレポートを読みやすいように短くした実話です。もっと深く実態を知りたい、14番の一生に寄り添いたいと思ってくださる方は、そのレポートを読んでみてください。
14番のミルクは、死ぬまでずっと、牛乳、チーズ、ヨーグルト、カフェのミルクなどに使われてきた
どの大手乳業メーカーの牛乳にも入っていた
今も同じように、苦しむ牛たちのミルクと乳製品が
スーパーに並び、カフェのカップにそそがれている
14番のように足を引きずる”跛行”の発生率は20~50%。跛行の主な原因が蹄の病気でその割合は35%だ。つまり、日本では約474,600頭の乳牛が跛行で苦しんでいると言える。
跛行の牛を使役することは虐待だ。
元従業員は「もし私たちがこれからも牛を利用するのであれば、牛に対する敬意と思いやりを持って、いまのような牛の扱い、飼育環境は変えていくべきだと思います。それができないのならば牛を利用し続けるべきではないと思います。」と切実な思いを綴っている。
残念ながら、現在牛の飼育状況までをトレーサビリティできる仕組みはなく、乳業メーカーも把握できていない。一部の乳業メーカーは把握する意欲すらない。
私たち市民に残された、14番を救う方法は唯一つだ。
牛乳から、離れよう。乳製品から、離れよう。
14番のために、あなたにできること
牛のミルクから離れよう
牛乳には完全な代替品があります。豆乳、オーツミルク、アーモンドミルクなどなど。ヨーグルトも、チーズも植物性が売られています。カフェで牛乳を拒否することも多くの場合できます。
あなたは14番のような牛たちから搾り取られたミルクか、それとも動物の犠牲のないミルク、どちらを選びますか?
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