前日の昼から夕方にかけて、多くの豚が屠殺場に運ばれてくる。
運ばれてきたときにすでに息が荒く、口の周りに泡を吹いている状況も見られる。
そして糞尿がついた体を洗い流すためにシャワーがかけられる。冬であろうとお構いなく、かけられる。
日本の豚の屠殺場の86%が、飲水設備を設置していないため、その糞尿混じりのシャワーの水をコンクリートの床から舐め取った後は、もうなにも口にすることはできない。
そして迎える夜。何が起きているのか。
屠殺場に、夜中、深夜、明け方、いつ行っても聞こえてくる豚たちの悲鳴、叫び、闘争の声。壮絶だ。繰り返すが、いつ行っても聞こえる。
保管場所が過密すぎると、以下の懸念がある。
繋留所の一つの囲いの中は、満杯にしないことが必要である。豚の密度が囲いの最大3分の2以下であれば豚同士の闘争が減少する。
密度は囲いの2分の1であることが最善だといわれる。
長時間係留する場合は、全ての豚が横たわる面積とともに、その3分の1が空いている程度の密度を推奨する。
異なる社会集団(群れ)が混在するときは、豚の逃げ場を作らなくてはならない。通路や分断された単独で利用できる囲いを用意する。弱い豚が脱出する方法を作ることは、係留場全体のストレスを軽減する。
イノシシのニオイを囲いに付けておいたり、外からイノシシのニオイがすると闘争が減少する。イノシシの汚れをスプレーするだけでよい。
また、オランダの小さめのと畜場では闘争を抑えるために豚の首の後にビネガーをスプレーしている。
豚は新しい又は突然の音に敏感だ。それでいて、豚は人々と同じ程度しか音の出処を特定できない。しかし、豚は人間には聞き取れない音(超音波)を聞くことができる。
そのため、豚を穏やかに保つためには、あらゆる種類の音を最小限にすることが重要だ。
金属の扉やフェンスの代わりにプラスチックを使用することは、プラスチックゲートが開閉時にほとんど音を出さないため、騒音を低減させる有効な方法である。
飲水がない状況は身体的に追い詰められるだけではなく、動物を精神的に追い詰める。生死に関わるからだ。動物は閉じ込められており、逃げることができない。そのうえ、水も餌もない。
そして乾きで苦しみ、不安と苛立ちが募っていく。すべての豚たちが常時、容易に、確実に飲水ができる状況を作る必要がある。
係留所にコーンを撒くことで、より一層スムーズな移動を実現し、闘争を減少させられる。
新しく到着した豚は、新たな環境にポジティブな印象を持ち、より穏やかになるだろう。豚はコーンの粒を調査し、彼らの注意は床に集中する。これにより、新しい環境によって引き起こされた豚のストレスをおさえられ、探索行動に費やす時間が生まれ、戦う時間が短縮される。
コーンの他に、ロープ、木くずやワラも同じ効果がある。
動画の屠殺場に対しては、上記改善方法を提案し、改善を促しているが、改善は行われていない。
より簡単で、根本的な方法がある。出荷する農場側が、きちんと当日の朝に動物を運んでくればいいのだ。豚の屠殺場は、採卵鶏の屠殺場とは異なり、豚をものすごく遠くから運んでくることは多くはない。豚の屠殺場は各都道府県にすくなくとも一つはあり、長くても2~3時間で到着できる。欲を出して東京の中央市場に運ぼうという養豚農家もいるかも知れないが(東京で都築すると価格が高く売れると言われる)、その他の地域で屠殺することがほとんどだ。
国際基準を守ること、豚に無用な苦痛を与えないことなどの意識が多少でもあれば、輸送や係留の時間を短くすべきだという考えに至るのは当然のことだ。
それがなされていない。
屠殺場側は、持ってこられた動物を受け入れざるを得ないし、無慈悲にぎゅうぎゅう詰めにしているのは農場側(または専門の輸送業者)である。
殺される直前の最期の24時間に、どうか豚を苦しめないでください。
水を断ち切って苦しませるということを、せめて、しないでください。
明日殺すからと言って、適切なケアをしないことは怠慢だ。
飲水できない、過密、横たわれない、騒音がする、過剰に熱い又は寒いなどは闘争の原因になる。
OIE動物福祉規約 第7.5章「動物のと殺」には以下の規定がある。
第7.5.3条
2. 収容所のデザイン
c) 安全を理由に拘束される場合(手に負えない雄牛など)を除き、動物は立ち上がり、横臥し、ペンに入れられる場合には、方向転換ができること。手に負えない動物は、福祉上の問題を避けるため、と殺場に到着後できるだけ早くと殺すること。収容所は、収容する予定の動物数に対し、十分な収容量を持っていること。飲水は、動物がいつでも摂取でき、その提供方法は、収容される動物に適切なものにすること。飼槽は、糞による汚染のリスクを最小限に抑え、動物に打撲や怪我のリスクがなく、動物の動きを妨げないようデザイン、設置されること。
d) 収容ペンは、可能な限り多くの動物が、起立し壁にもたれて横たわることができるようにデザインすること。飼槽が備えられる場合は、すべての動物が食べることができる十分な量と給餌スペースを設けること。飼槽は、動物の動きを妨げないこと。
第7.5.4条
収容所の動物は、次の勧告に従い保護管理すること。
1) もともとの動物の集団は、可能な限り一緒に飼育し、それぞれの動物には、立ち上がり、横臥し、方向転換するための十分なスペースを与えること。お互いに敵対関係にある動物たちは、引き離されるものとする。
5) 動物が遅滞なくと殺されるのでない限り、彼らの到着時と、収容所内では常時、適切な飲水を動物が摂取できるようにすること。
6) 待機時間を最短にし、12時間を超えないこと。動物が12時間以内にと殺されない場合は、到着時と、それぞれの種に適した間隔で、適当な飼料を動物が摂取できるようにすること。
現在の日本の動物愛護管理法は畜産動物についても含まれるものの、死法と化しているが、法遵守の精神があるのであれば、違反していると考えられる。
第四十四条
2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。
産業動物の飼養及び保管に関する基準も同様だ。
第4 導入・輸送に当たっての配慮
1 管理者は、施設の立地、整備状況及び飼養能力を勘案し、産業動物を導入するように努めること。
3 産業動物の輸送に当たる者は、その輸送に当たっては、産業動物の衛生管理及び安全の保持に努めるとともに、産業動物による事故の防止に努めること。
詰まるところ、なぜに夜中に作業するのだろう?残業代がかかるので昼やればいいのにって話??
ちがいます。
「前日の昼から夕方にかけて、多くの豚が屠殺場に運ばれてくる。」のです。
早朝に作業をするのが嫌なので、前日の昼のうちに済ませてしまっているため、負荷が動物に係るのです。
コストを考えると当然昼から夜間に豚をと場に搬入するのが理にかなっています。産業動物に無用なコストを掛けるのはいかがなものかと思います。
一般の焼肉大好き~~と言ってる何も知らないお気楽さん達にこの事実を知ってもらうことが改善につながると思います
SNSをもっと活用して嫌でも目に入るようにしていくことが良いと思います
草の根運動あきらめません!!
「焼き肉大好き!」と言っている人を、なぜ「お気楽さん」と呼ぶのか?
人間は自然界において「弱者」だ。
それゆえ、社会性を武器に「強者」となり生きているのだが、消費行動は社会性の最たるものである。
あなたの発言は「木を見て森を見ず」的なものであり、偽善である。
問題は、家畜に重度なストレスを与えてしまっている点で、それは残酷だ。
屠殺の工程は、ロボットによるオートメーション化したほうが良いのだ。
偽善ですか?
消費行動の中に闇があって、それに目を向けて少しでも改善しようと試みてる人が?
人間生きていれば何かを犠牲にしてしまうけど、
シンプルに動物に思いやりを持って行動してる人ってとても優しい人だなって思いますけど。
コレラにかかった大量の豚を狭い穴に押し込めて生きたまま一気に燃やし、半死半生となった豚たちの苦鳴が渦巻くなか穴の埋戻しを始める(生き埋め)動画をこないだ見ましたが、基本的に豚の飼育に携わっている方々は豚を飼育動物として扱うつもりがないのではないでしょうか。
焼き尽くされる瞬間や土と一緒に降ってきた大岩が直撃したときの豚たちの絶叫、耳から離れません。
家畜の飼育というのは精神的にも肉体的にも大変な仕事だとは思いますが、知性のある動物に対してどう振る舞うべきか、思いを至らせる時間を少しでも作っていただきたいですね。
詰まるところ、なぜに夜中に作業するのだろう?残業代がかかるので昼やればいいのにって話??
動物福祉を訴えたところで動物は不必要に殺され続けます。
いくら殺される前にいい人生を送ったからといっても、動物は死を望んでいません。
人間はもう動物を殺して食べる必要がないので、殺し自体の廃止を訴えて欲しいです。
それでも僕は肉を食らう
他の生き物も肉食べたりしてるし肉は美味しいからね
その分食べれることへの感謝で頂きますとご馳走さまは言いますが
不要な屠殺をやめて欲しいのか、するなら餌等を与えストレスなくして欲しいのか。どちらでしょうかね?あなたの体も様々な栄養から成り立っています。豚だけとは言いませんが、ここを見て可哀想と思う人は多いと思いますが、そんな人も焼き肉が好きであり切り身で売られている所をみても可哀想などと思わず、美味しそうと思うでしょう。何故って実際食べれば美味しいと思う人が多いですから。お肉屋さん(焼き肉)が多い事で証明できますよね。
肉が嫌いと言う人は極少数だと考えます。私は小さい頃に鶏を飼っており、爺さんが朝捌くのを見て育ちました。可哀想だと思いましたが夜に煮物で出てくる鶏は大変美味しかったと記憶しています。私の子供にも命の大切さを教えたく、捌くのを見せたいですが魚が精一杯、教えることが出来ません。
大変な仕事をしてくれている人がいるから、多くの人が美味しい肉を食べることが出来ている事実も考えるべきです。
命が大切なら殺さないよね
自分の欲求のほうが命より大切だと教えたいならその教育方法は最適だと思うよ
あとさ、「感謝」って言葉は免罪符じゃないからね。もし「感謝」で済むと思っているなら仮に君の大切な人やペットが殺されたとしても犯人が「感謝」してたら許してやりなよ?
君がどうしてもお肉を食べたくて殺したように犯人にも他者を殺す程の事情があるはずだから許せるよね
それとも自分は殺すけど他人には自分の大切な存在を殺されたくない?
まぁそれも人間だから仕方ないか、正直気持ちは分かるし強く責める気にはなれない。自分にもそういうとこあるからね
ただ、どちらにせよ屠殺を肯定して「感謝」や「お肉おいしい」を連呼するならそういう事を少しくらいは頭の片隅に入れておいて欲しいかな
動物の肉を食べるのは生き物として当たり前の事だから屠殺を悪とは思わないけど、「いただきます」の言葉がある通り動物のお命を頂く訳だから……ここまで育ってくれた事、お肉になってくれる事に感謝して最期くらいはしっかりした環境の中にいさせてあげるという尊厳があっても良いんじゃないでしょうか?
日本は人口が多く国土が狭いので屠殺される動物の過密な状況が改善できるかは分かりませんが、別の事や小さな事から改善して彼等の命を尊重できるようになってほしいです。
屠殺所を廃止しろとか言うけど屠殺所を廃止なんて無理だからみんな美味しい美味しいって肉を食べてるんじゃねえ?嫌なら肉を食べなきゃ良いじゃん確かに可哀想かもしれないけど人が生きていくために動物殺してまで食べるしかないから
まずは人間の人間らしい最低限の暮らしを実現してから言って下さい。貴方が寝言をほざいてる間にあなたの身の回りで人間が死んでいます。反省なさい?
お考えに賛同します。人間だって最後の日に飲むのは糞尿よりコップに注がれた水の方が良いでしょう。
空間や環境を整え、最終処理する前にストレスを減らした方が
肉質だってよくなるだろうにそれをしないという事は、その「時間」に対するコストの問題なのでしょう。
コスト面を無視すれば、経営者には響かないでしょう。
理想的な環境を構築しているところを探し、モデルケースとして啓蒙する事が未来に繋がって行くのでは。