(解説)
2019年4月1日より始まった、朝のNHK連続テレビ小説「なつぞら」。舞台は北海道十勝であり、画面には何度も酪農のシーンが登場します。このドラマを機に酪農に関心を持った方もいるのではないでしょうか?
農林水産省ではこの「なつぞら」の解説をはじめたようですね。アニマルライツセンターでも、ストーリーに併せて、畜産動物や酪農について、動物目線で解説をしていこうと思います。どうぞお楽しみに。
=教育目的でおこなわれる乳しぼり体験=
千遥の登場で、最近搾乳シーンが増えましたね。
前回の解説で、この手絞り搾乳は一部の観光牧場を除いて今は一般的なものではないと話しました。しかし観光牧場のように商売目的ではなく、「教育」目的で乳しぼり体験が行われている例もあります。酪農家などが、学校や教育現場と連携して行う「酪農教育ファーム活動」がそれです。この活動のポスターにも乳しぼりの様子が書かれていますが、さらにインターネット検索すると、それらの体験では牛を器具で拘束し、動けないようにした状態で乳しぼりが行われていることがわかります。
*写真は酪農教育ファーム活動のものではなく、ある自治体が主催したイベントで行われた「乳しぼり体験」を撮影したものです。乳しぼり体験者を「牛の危険から守る」ために、牛はこのように拘束されます。
拘束されて不特定多数の人に体を触られ続ける牛のストレスは相当なものですし、この手作業による乳しぼりは現代では廃れています。一体何の教育のために乳しぼりを行っているのだろうと、団体のサイトを見てみましたが、乳しぼりを行う理由について特段の記載がなく、よく分かりません。この活動の目的の一つに「酪農の現場への理解を深めること」があるようですが、手作業乳しぼりは廃れているので「酪農の現場への理解」にはなりえません。「動物との触れ合いによる教育的効果」も重視されているようですが、この乳しぼりは拘束した牛に人間が一方的に触れているだけで、触れ「合い」とは言えません。
酪農教育ファーム活動は年間40万人以上が体験しているということです。影響力の大きい活動です。金儲けではなく教育を目的としているのですからもっと他にできることがあるのではないでしょうか。
=乳しぼり=
なつぞらにたびたび登場する搾乳(乳しぼり)シーンですが、今はこの人間の手による乳しぼりは、ごく一部の観光牧場を除いて一般的なものではありません。給餌や清掃の機械化と同様、搾乳も手ではなく機械を使って行われています。
最近では搾乳だけでなく、搾乳機(搾乳ロボット)への牛の出入り、搾乳機の装着、搾乳時に与えられる飼料の給餌量の調節、牛の健康状態の情報収集なども含めてオートメーション化され、人間の介入を最小限にした搾乳ロボットシステムも普及しはじめています。
「動物を機械で扱う」というと「非人間的」と憤る人もいますが、実際には人ができるだけ介入しないオートメーション化された搾乳システムでは、乳房炎の減少、体調スコアの向上など動物福祉が改善されると言われています。
畜産の人手不足が叫ばれAIの導入がこれから進んでいきそうですが、そういった「非人間化」は畜産利用される動物にとってはむしろ幸せかもしれません。人間が直接動物に関わるとろくなことにならないからです。
それを顕著に表しているのがこの補鳥作業です。
ちなみに、観光牧場で行われる「乳しぼり体験」ですが、臆病で警戒心の強い牛が、毎日見知らぬ人に下手な搾乳方法で何度も乳を搾り取られる、この乳牛のストレスは相当なものだと思います。しかもこの手作業による「乳しぼり」現代では廃れているのです。いったい何の体験なのでしょうか。無意味で残酷な「乳しぼり体験」はもうやめていただきたいものです。
=人工授精=
今日は、泰樹が柴田家長男の照男に「なつと結婚しろ」とのパワハラ発言があり驚きました。この時代にはまだ家長によるこんな横暴な発言が許されたのでしょうか。泰樹の言葉で連想したのが牛の人工授精です。
牛は自然繁殖で子供を産んでいると思っている人がいるかもしれませんが、違います。牛の繁殖は人間がコントロールしており、精子の採取から種付けまですべて人間が管理しています(肉用に育てられる牛も同様です)。ごく一部山地酪農で人工授精を行わず、交尾、妊娠、出産を牛の自然のリズムに任せている農家さんもありますが、現代の酪農はほぼ100%が人工授精です。
人でも人工授精をおこなうことがあります。しかし人と牛の人工授精の大きな違いは、人は自主的に行うのに対して、牛は強制的に妊娠させられているという点です。本来自然界であれば動物は自分で繁殖相手を選び双方の合意のもとに交尾を行います。しかし畜産利用される牛は、自分が望んだ相手のものではない精子を植え付けられ、妊娠させられます。形式上はレイプと同じです。照男へのパワハラなど可愛いものです。
メス牛だけではありません。精子を採取される種オス牛も横暴な人間の犠牲になっています。彼らは擬牝台(牛の皮で作った乗駕用の台)や人工膣などのこっけいな道具を用いて精子を採取され続け、「遺伝的に優秀」だけど老齢や肢蹄故障で採精できないという時は電気ショックが用いられることさえあります。擬牝台にうまく乗らないという場合は生きた牛が乗駕用に連れてこられます。「乗駕用」には雌牛だけでなく、おとなしい雄牛、去勢雄牛も使われます。
広い草原に牛が放牧されている”なつぞら”の映像からは想像しにくいかもしれませんが、現代の酪農は自然の摂理から大きくかけ離れており、人間の横暴さがいかんなく発揮されています。
=乳量増加=
今日は”なつ”が”じいちゃん”のために流した涙に「もらい泣き」した視聴者もいたのではないでしょうか?良いシーンでしたね。しかし胡乱な実態のないドラマよりもより注視すべき価値のある現実があります。
今日は「乳量」に注目しようと思います。”なつ”の演劇に”じいちゃん”が遅れてしまったのは、クローバーを与えすぎて鼓脹症になった牛を手当てしに行ったためでしたね。クローバーを与えすぎたのは「乳量を増やすためだ」という話をしていました。
乳量を増やす。
なつぞらの時代の1955年から現代いたるまで酪農におけるこの目標は変わっていません。以前の解説でも書きましたが、なつの時代から現代まで乳牛一頭当たりの乳量は二倍に跳ね上がっているにもかかわらず、国の示す「家畜改良増殖目標」では現在の一頭当たり年間8100kgから8500-9000kgまで増やすことを目標に掲げています。しかし簡単に増やすと言っても牛の乳も血液から作られています。人間のお母さんの乳と同じです。乳量が二倍になるということは二倍もの血液を乳房に送り込むという大きな負担を母牛に強いることになります。そしてこの負担は、第四胃変位などの代謝障害や、起立不能などの運動障害、乳房炎や繁殖障害などの様々な病気を母牛にもたらしています。体がボロボロになり限界まで乳を搾りとり使い物にならなくなったら淘汰して次の牛に切り替える、といったサイクルが今は一般的なのです。牛は本来なら20年も生きる動物ですが、畜産利用される牛は生後5,6年で屠殺場へ送られ苦痛の多い生を終えます。
人間は感傷に浸るのが好きな動物です。
作られたドラマを見てセンチメンタルになるのもたまには良いものですが、同じように感情を持つ生き物が日々ただ耐えて殺され続けているという現実に目を向けてみることも時には必要かもしれません。
=スタンチョン=
朝の搾乳シーンで、牛の首が紐ではなく長い金属の輪で拘束されていましたね。あの長い金属の輪は「スタンチョン」と言われています。”なつ”の子供時代の牛舎を覚えてるでしょうか?あの頃牛たちは紐でつながれていました。
「スタンチョン」は紐繋ぎよりも牛の行動を制限し拘束度が高いと言われています。畜産技術協会の調査では2008年のスタンチョン使用率25.2%、2014年19.4%ですので、同じ繋ぐにしてもより自由度の高い紐式に移行していっているようです。
にもかかわらず”なつぞら”ではスタンチョンが登場します。紐から鉄のスタンチョンに替えたことでなつの子供時代から9年たって酪農が近代化してきたことを表したかったのでしょうが、福祉的にはこのスタンチョンはレベルが低い飼養方法ではあります。現代の酪農と比較すると柴田家の牛の飼育方法は牛の天国のようにみえるレベルの高さだったので、いきなり柴田家にこのスタンチョンが採用されたのは非常に残念に思いました。
=牛の角=
今日もバケツ哺乳のシーンがありましたね。
エピソード13の解説でも述べましたがバケツ哺乳は牛の過酷な運命の第一段階です。朝から子牛の虐待シーンを見るのは辛いものです。虐待といえば、柴田家の牛たちの角が無いことに気が付いたでしょうか?この牛たちを見て乳牛は角がないと勘違いした人もいるのではないでしょうか?
無角牛という種類の牛もいることにはいますが、なつぞらに登場する白黒のホルスタインには本来角があります。それがないのは、除角しているからにほかなりません。
角は爪のようなものだと思っている人がいるかもしれませんが、爪とは違い角には神経も血も通っています。角を切断すると血が噴き出し、牛は痛みで苦しみます。死んでしまうこともあります。それでも角を除くのは牛同士の突き合いや作業者が突かれて怪我をするのを防ぐ為だということです。でも牛同士が血が出るほど突き合いをして喧嘩するとしたらそれは狭い牛舎で多頭飼育をしてパーソナルスペースが維持できない劣悪な環境であることが原因でしょうし、その狭い牛舎で牛の乳を搾取しようとする人間がウロウロして突かれるのは自業自得です。それにどうしても角が危険だというのならば角を切断しなくても良い「角カバー」も販売されているのです。
それなのに牛に苦しみを与えてまで角を除きたいというのは動物福祉を省みない乱暴な考えだと思います。
乳用牛のの85.5%に除角が行われており、そのうち麻酔が使用されるのは14%。残りは麻酔なしで除角されています。
除角がどのようなものであるか、詳細はこちらをご覧ください。
=乳脂肪分で牛乳の値段が決まる=
メーカーとの直接取引ではなく農協を通した取引をしようという話がありましたね。その中で「乳脂肪分で牛乳の値段が決まる」という話がありました。ここで問題提起です。
スーパーの牛乳コーナーに行くと年から年中脂肪分3.5%以上の牛乳が販売されています。これって実はおかしいことなんです。広々とした草原を自由に生きている牛なら、水分量の多い夏は脂肪分が低く、乾燥した藁を食べる冬は脂肪分が高くなるはずです。常に3.5%以上を維持できるのは牛を”なつぞら”の時代のように草原に放牧していないからです。牛の自由をうばっていることの証です。
このことは山地放牧酪農をされている中洞正氏の「黒い牛乳」にとてもわかりやすく書かれているので関心ある方はぜひ読んでみて下さい。現代の牛の飼育方法の問題についても現場の立場から分かりやすく説明されています。
=牛の出産=
なつの子供時代から9年たちましたね。
今日は牛の出産シーンがありました。逆子でなつたちが足を引っ張って人工呼吸で生き返らせましたが、これからこの子牛が待ち受ける過酷な運命を思うと生き返らないほうがよかったんじゃないか、人工呼吸なんて大きなお世話だと思いながら見ていました。早速過酷な運命その1が画面でも流れましたね。バケツ哺乳です。
なぜお母さんのお乳をお母さんの乳首から飲ませてもらえないのでしょうか?
お母さんの乳を吸うという行為は、子牛にも母牛にも安寧の時間をもたらします。しかし酪農利用される牛にはそのようなぜいたくな時間は許されていません。二頭は産まれてすぐに引き離されるのです。牛乳を早く生産ラインにのせるために。産まれてすぐに母牛が子牛を舐めているシーンもありましたね。子牛と引き離された母牛は子牛の匂いを思い出して何日も泣き続けるでしょう。子牛は母牛を恋しがり、乳を吸いたいという強い欲求をかなえられず柵の出っ張り部分など、乳首に似たものに飛びつくという異常行動をおこすでしょう。引き離された二頭がどのように苦しむのか、二冊の書物から紹介します。
「母牛は子の体をなめると親子の情がうまれ、哺乳するとさらに強まり、半日でも同居した親子を引き離すと、互いを求めて鳴き、特に母牛は2~3日、子を求めて激しく咆える」(「家畜行動学」より)
「イギリスの動物保護団体RSPCAの畜産動物部、主任研究員のジョン・アヴィジニウスは、我が子を取り上げられた母牛が、少なくとも6週間にわたって嘆き悲しむ姿を見たという。子牛が連れ去られると、母牛はすっかりうちのめされた様子で畜舎の外に向かい、我が子を最後に見た場所で何時間も子供を呼び続けた。力ずくで動かさない限り、彼女はその場を離れようとしなかった。6週間が過ぎても、母牛は我が子と別れた場所を見つめ、ときには畜舎の外でしばらく待っていた」
(「豚は月夜に歌う」より)
人工呼吸なんてほんとうに大きなお世話だと思います。
=植物性で代替可能=
搾乳した生乳からつくったバターをじゃがいもにつけて食べるシーンがありましたね。
このシーンで思い出したのですが、先月「本物に劣らない植物由来のバター ひよこ豆のゆで汁から開発」という記事をみました。ファババター(FabaButter)といってアメリカでは購入できるようです。動物の犠牲の無いフェイクミートやクリーンミート、乳製品や卵の代替品の動きが最近は活発で、その分野へ投資する動きも拡大しており、日本でもぽつぽつとテレビを含むメディアで取り上げられるようになっています。植物性市場が拡がり動物の犠牲に終止符が打たれる日も遠くないかもしれません。
=豆乳、アーモンドミルク、ライスミルク、ココナッツミルク、オートミルク、カシューナッツミルク=
なつがおいしそうに牛乳を飲むシーンがありましたね。
前回の解説でも言いましたが、動物の苦しみという観点からいえば、肉よりも乳や卵を生産するほうが酷いのです。そして乳牛であっても最終的には肉牛と同じように殺されます。最近の乳牛が産まれてどれくらいで屠殺されているか知っていますか?搾乳するために人工授精させ、3,4産すると乳牛は淘汰対象となり屠殺場へ送られています。年齢でいうと5,6歳です。
牛乳おいしいですか?
豆乳やアーモンドミルクやライスミルクやココナッツミルクやオートミルクやカシューナッツミルクなら牛を苦しめることもありません。牛乳じゃなくてももいいのではないでしょうか?
=アイスクリームから産まれる苦しみ=
なつがおいしそうにアイスクリームを食べるシーンがありましたね。
肉を食べるときには「命に感謝して」などと言う言葉がよく聞かれますが、アイスクリームやクッキーを食べるときにはそのようなセリフはあまり聞かれないようです。動物性の乳製品や卵が使用されているのに、なぜでしょうか?
牛乳や卵は動物を殺していないと思っているからかもしれません。しかし実際には乳や卵のほうが肉よりも動物搾取が激しく、乳や卵を生産し続ける彼らは長期にわたって苦しめられています。乳牛は繋がれっぱなしですし、採卵鶏は狭いケージに拘束され続けています。乳からできたアイスクリームは牛の苦しみの塊です。最近では乳をつかわないアイスクリームも広く出回っています。動物を苦しめない食事、はじめてみませんか?
=ふかふかの藁って本当?=
今日も牛舎の牛たちがたくさんの藁をもらっていましたね。食べるだけではなく寝床にもきれいな藁がふっかりと敷き詰められています。
前回の解説でも少し触れましたが、こんな贅沢な寝藁をもらっている牛は現代でもいるのでしょうか?正確なところをちょっと調べてみました。
農業経営統計調査の2017年度畜産物生産費を見てみると、敷料として搾乳牛一頭に与えられる敷料は稲わら、麦わら、乾牧草を合わせて一日当たり平均0.61kg。藁には劣りますがおがくずも敷料として使用されています。その量は一日当たり平均1.49kg。つまり敷料として牛に与えられるのは一日当たり合わせて2.1kgということになります。一日2.1kg。これは体重600kgの牛に果たして適切な量なのでしょうか?
現代の乳牛はほとんどつながれたままで過ごしており、この上で寝て食べて糞をします。一日の乳牛の糞量は50kgです。毎日2.1kgの敷料を交換するだけで清潔でふかふかな寝床を提供することはおよそ不可能なのではないでしょうか。本来ならもっとたくさんの敷藁を給与されるべきですが、藁はただではありません。牛の快適な生活のために必要なコストはこんなところでも節約されています。
=広々とした草原に放牧される牛のイメージ=
「なつぞら」主人公”なつ”の子供時代。戦後1946年。
この時代の乳牛たちはみんなこんな風に飼育されていたのでしょうか?牛舎には牛が食べる分だけでなく寝床にもふかふかの藁がいっぱい敷き詰められています。ヒモでつながれてはいるようですが、搾乳と夜寝るときだけのようですね。朝の搾乳後は草のたくさん生えた草原で放牧されています。
今のような工場型畜産が拡がる前の話ですから、実際ほとんどの農家ではこんな風に牛を飼育していたのかもしれませんね。
驚いたのは5.6頭の乳牛に対して従業員という労働環境。5、6頭の牛舎に従業員4人、つまり一人当たり約1.4頭を世話しているということになります。現代とは全く異なります。2017年の農業経営統計調査をみると、酪農家一戸当たりの経営関与者は2.57人となっています。同年の畜産統計調査では酪農家一戸当たりの牛飼養頭数80.7頭ですので、2017年は一人当たり約31頭の牛を世話していることになります。
労働力を抑え少ないコストでよりたくさんの生乳を。現代になり薄利多売の波は酪農にも広がり、そのしわ寄せをもろに受けたのが牛です。
牛のほとんどは牛舎の中につながれたままで硬いコンクリートの床の上で過ごしています。ふかふかした寝藁などというぜいたくなものが与えられる乳牛がいったいどれだけいるのでしょうか?過酷な品種改変の結果、乳牛一頭当たりの乳量は2倍に跳ね上がり、無理をさせられた結果乳牛は骨粗しょう症、跛行など様々な病気を抱えるようになっています。
「なつぞら」を見て酪農に牧歌的なイメージを抱く人もいたかもしれませんが、現代の酪農にはそのような情緒はありません。”なつぞら”の牛舎のシーンで、なつはすぐに搾乳させてもらえず「牛は知らない人だと乳の出も減る。まずは牛と仲良くなること」いうセリフがありましたが、現代の酪農に牛と「仲良く」なるようなぜいたくな時間はありません。
農林水産省でも「なつぞら解説」をされているようです。下はそのサイト画面の一部です。牛乳のパッケージに描かれているようなこの画像ですが、現実は異なります。このようなイメージを抱いて酪農に就職したら失望することになるので注意したほうが良いかもしれません。